結月はなおもしゃくりあげ、嗚咽を漏らして泣き続けている。

「…………結月ー、どうして泣いてるのー?」

 やだな。

 小さな女の子に、心配かけてる。

 恥ずかしい。

 結月はこの女の子に、「心配かけてごめんね」って言いたかったけれど、その言葉がうまく口から出てこない。

 相変わらずの口下手で、そんな自分が嫌になる。

 叫んだおかげか、ようやく徐々に落ち着きを取り戻した。

「ゆっくりでいいからー…………アタシにもわかるように、教えてー?」

 少女は心配そうに、涙をこぼしている結月の肩を、さすり続けてくれている。

 我に返って顔を上げた結月は少女を見た途端、仰天した。

「…………あ、なた……は……!」

 今までと違っている。

 髪の色が虹色。

 白く透き通るような肌の上に、七色の小さな泡でできた、可愛らしい浴衣を身にまとっている。

 やはり…………そうだったのか。

 泡の神ウタカタだ。

 自分の魂を、何度も食べた少女。

「…………」

 ただ見つめる事しかできない。

 こんな時すら、声が出ない。

 でも、奇妙だ。

 今までのような鳥肌が立つようなおぞましさや、一瞬で殺されてしまいそうな恐怖を、全く感じない。

 よく見るとウタカタは、12歳くらいに成長しているようである。

 恐怖を感じない自分が謎だ。

 もしかして、彼女の瞳の色が変わったからだろうか?

 眼球は白く見え、中央の瞳孔は黒く見える。

 人間と同じになっている。

「ね、結月ー、教えて?」

「…………」

 自分を食べて、殺そうとしていたはずの女の子に、この悩みを打ち明けるなんて。

 教えるなんて、すごく奇妙だ。

 それでも結月は話し出した。

 半年後には自分が、イギリスという国へ引っ越す事。

 そこへ行けば友達みんなと、会えなくなってしまうこと。

「…………」

 幸せだった今までとは真逆の、新しい日常を拒絶したくなる感情。

 これでは前へ進めない。

「知らなければ良かった?

 みんなに出会わなければ良かった?

 言葉を交わさなければ。

 仲良くならなければ。

 笑いあったりしなければ。

 大好きにならなければ。

 別れるのが辛くならなかった?

 未来がこんなに怖くなることは、無かった?」


 結月の魂が怯えている。


 乗せている手から伝わってくる。


 未来への、恐怖と絶望。


「自分はすごく幸せだった。それをこんな形で、思い知らされるなんて」


 その深い感情が伝わってきて、心が共鳴したウタカタは、結月と同じように涙をこぼし始めた。


「泣かないで…………結月。結月が泣いたらアタシも悲しいよー……っ」


「…………」


「会えなくなるのってー、そんなに悲しいものなのー?」


「うん」

 結月の気持ちは伝わるが、それでも大きな疑問が残る。

 ウタカタは、首を傾げた。

 どうしてもピンとこない。

「でもでもそれって、体が会えなくなるだけでしょー?」


「…………うん」


「アタシはねー、エセナちゃんやクナ君やフッツーやスズネっちと別れても、ちーっとも悲しくなんないよー」


「…………どうして?」


「だって会えるもん」


 会えるもん。


 この力で。


「んーーーーっ!!! んんんんんんーーーーーっ!!!」



 ウタカタは、ぎゅーっと両手を握った。

 そして、ぱっと上に向けて開いた。

 すると、左手には虹色の絵筆。

 右手には桃の花の形をした、パレットが現れた。


「はい! これあげるよ、結月ー! これで結月は、会いたい人にいつでも会える。会えないのは、会いたくない人だけー。やってみて?」

 ウタカタはニコっと、とびきりの笑顔を結月に見せた。


「ホント?」


「うんうん、ホント!」


 結月は試しに、パレットの上に絵筆を乗せてみた。

 綺麗な黒がまず出て来る。

 それを使って結月は、さくらを描いた。
 
 筒女神の衣装を着ている。


「あ! この子、お友達?」


「うん。これはさくら」

 結月はもう一度、パレットに筆を乗せた。

 すると今度は、絵筆から自然と白が現れた。

 その白を使って結月は、さくらが扮する筒女神に、白い衣装を着せてあげた。

 結月が思い描く色が、絵筆から自由自在に現れる。

 それらを使い、結月はさくらが扮する筒女神を完成させた。


 その筒女神は、結月と同じくらいの身長に成長し、彼女に向かって話し出そうとしている。


 でも、言葉が出てこない様子である。


「ねぇ、結月。その羽衣ってねー、ただの白じゃなくて時々、虹色に光るんだよ?」

「え? そうなの?」

「うん。だってそれ、エセナちゃんの羽衣でしょう?」

「え? エセナちゃん? ううん、違う。これは筒女神の羽衣」

「ツツメガミ? それ美味しい?」

 結月は首を横に振った。

「食べ物じゃない」

 結月はエセナを知らない。

 エセナって一体、誰の事だろう?

 岩時神楽の台本にも、出てこなかった名前である。

 でも結月はウタカタに言われた通り、試しに透き通る羽衣を虹色に光り輝くように、書き直してみた。


 すると。


 絵だったはずのさくらが大きく深呼吸し、頬の色を桜色に染めて、微笑みながら結月に語りかけた。

「結月」

 筒女神姿のさくらは、結月をぎゅっと抱きしめた。

「さくら!」

 抱きしめられた体はフワフワの毛布に包まれたように、ほかほかと温かくなった。

 やがてそっと体を離したさくらは、ウタカタが出したパレットと絵筆を指さした。

「描いて、結月」

「うん」

 次に、ピアノに向かっている律を描いた。

 彼女は大魔法みたいな鮮烈さを放つ音色を、奏で出した。

「律!」

 その調べに憧れを覚え、結月は前へ前へと引き寄せられる。

 そして、体育館で走る凌太を描いた。

 彼は勢いよく動き出し、バスケットゴールにカッコよく、ダンクシュートを決めて見せた。

「凌太!」

 世界一美味しい食べ物を食べたように、結月の中で力が湧いた。

 次に、図書館で本を読んでいる紺野を描いた。

 すると彼は読んでいる本から顔を上げ、結月に向かって笑いかけた。

「紺野!」

 結月の心は美味しい水を飲んだように、満たされた。

 最後に結月は、桃色の髪を揺らす白装束の少年を描いた。

 描き終わると動き出し、彼の背中に翼が生えた。

 そしてみるみるうちに、大きな桃色のドラゴンへと姿を変えた。

「結月、乗れ」

「…………大地」

 結月は、ピンク色のドラゴンに変身した大地の背中に乗った。

 気づくと、みんなも彼の背中に乗っている。

 さくらも、律も、凌太も、紺野も、ウタカタも、自分と一緒に。

 みんなを背中に乗せた大地は、ぐんぐん、ぐんぐん、空へと浮かび、全員を乗せながら笑い声をあげた。


「空の上はどうだ? 結月」


「…………気持ちがいい」


 爽快。


 岩時町が、小さく見える。


 人も家もおもちゃみたい。


 世界ってホントは、小さいんだ。


 そっか。


 いつもみんなと飛べるだ。


 一緒に生きてるんだ。

 
「ね、結月ー」


 ウタカタが結月に声をかけた。


「会えたでしょ?」


「…………うん」


「この絵筆とパレット、気に入った?」


「…………うん」


 もう一度涙が出る。


 結月はそれをこらえることなく、流すことにした。


「ありがとう、ウタカタ」


 今度は、さっきの涙と違う。


 嬉しくて、あふれて来る。



「あなたに、みんなに、会えて嬉しい。ありがとう」

















 大地はずっと、勾玉の中からウタカタと結月の様子を見守っていた。


「情けねぇな…………」


 自分が彼女を守るどころか、逆に心を救ってもらっている。


 こんなにも大切に、想ってもらっている。


「早く強くならねぇとな、俺も」


 そんな大地に布袋の中から、クスコがそっと声をかけた。


「あせるでない。その気持ちが第一歩じゃ、大地よ」


 梅も微笑み、大地にそっと頷いた。