どうやら、隣室にいる老婆の診察が終わったらしい。

「何かあったら呼んで下さいね」

「ありがとうのう、先生よ……」

 しばらくすると慌ただしいノックが鳴り、フツヌシの部屋の扉が開く音がした。

 ガチャ。

「岩の神フツヌシさーん。麻羅(まら)先生がお見えになりましたよ」

 看護師マイアの声、複数名の足音、聞いたことの無い神々の声がする。

 ……想像とは違う。

 部屋に入って来たのは、天津麻羅(あまつまら)だけでは無いらしい。

 ……足音でわかる。

 ガヤガヤと騒々しいから、もしかすると十数名以上はいるかもしれない。

麻羅(まら)先生、こちら岩の神フツヌシ様です」

 再び看護師マイアの声。

 さっきも思ったが。

 どうして名乗ってもいないのに、コイツらは俺の名前を把握していやがるんだ?

 最初から俺様の正体がばれているということは、クスコ殺害を目論んで失敗した件についても、全てお見通しではあるまいな?

「フツヌシさん、初めまして」

 医師の声。

 声の主は、天津麻羅(あまつまら)だ。

 …………おい!

 初めましてでは無いだろうがァ!

 体が冷え切っており、相変わらず叫ぼうとしても声が出ない。

 黒奇岩城(くろきがんじょう)建設当時、麻羅は施工を見学しに来た事がある。

 だからフツヌシと麻羅は初対面ではなく、何度か会っている。

 長話したこともある。

 そういえばあの時もそうだった。

 フツヌシは苦々しく思い出す。

 この男ときたら、何度会っても「初めまして」を繰り返す、頭の悪い奴だった。

 相変わらず目が見えないため、嫌いな奴の顔を見ずに済んで、せいせいするわ!

 麻羅は続けた。

「今回は、高天原医師団(たかまがはらいしだん)と合同で、治療を進めさせていただきます」

 高天原医師団?!

「何しろ、この城を使ってあちこちの世界を旅しているため、莫大な移動費を稼がなければならないのです。高天原で育った後続の医師たちに私の力を伝授すれば、助かる神々が増えるだけでなく、経費も色々と潤いますので。おっとご安心下さい。こちらではフツヌシ様の情報を、決して他者には明かさない事をお約束いたします」

 いや、そういう問題じゃないだろ。

 てかやっぱり、俺様の情報を把握してるんじゃねぇか!

「フツヌシさん、個体により神々の認識が異なるため、複数名の目視による再検査が行われます。どうかご了承ください」

 ご了承するわけないだろ!

 俺様を勝手に検査するな!

 再検査ってことは、俺様が眠っている間も勝手に検査しやがったのか?

 隣室の老婆の時は、そんな診察方法じゃ無かっただろうが?!

 フツヌシの怒りをよそに、合同医師団の検診が始まる。

「状態:満身創痍(まんしんそうい)

 若い男性の声が聞こえる。

「体全体、焦げてます」

 続いて若い女性の声も聞こえる。

「頭全体、禿げてます」

「うん。そちらはね、手術前と同じだからいいんです」

 何の診察だよ!

 コイツら俺様をイジメに来たのか?

「先生」

「どうしました? アド」

「フツヌシさんの頭部の名称について、ご相談なのですが……」

 すぐに検査をやめさせたいのだが、声が出ないので、フツヌシは叫べない。

 おまけに弱っているためか、体もうまく動かせない。

「頭頂部から首にかけてツルツル。左右側面部分はゴツゴツ。他の患者との差別化を図るため、頭部の名称は…『ゴツゴツルツル』にいたしましょうか」

 馬鹿野郎!

 なーにがゴツゴツルツルだ!

 しかも、アドとやらよ!

 うまい名称が出来た、みたいな感じでお前、随分得意げじゃねえか!

 さっきから俺様の外見をイジって、嘲笑ってるだけなんじゃねぇのか?

「それでいいんじゃないでしょうか」

 いいのか。天津麻羅よ!

「頭部以外はどうなっていますか? アド」

 またアドか。

「驚いた事に、焼き焦げて灰になった後、それらが全てくっついて、灰色の丈夫そうな体を、みるみるうちに再生させているようです。…………マーベラス!」

「マーベラス!」

「マーベラスですね」

「マーベラスとしか言いようがありません」

 研修医達は口々に絶賛する。

 フツヌシには、ディスられてるようにしか聞こえない。

「表層部分の強度は素晴らしいですね! 中身はどうでしょう?」

天枢(ドゥーベ)、入ります」

「アド、引き続きお願いします。アジ、記録してくださいね」

「はい」

「感情が昂っている時に、棘に変化されたようです。その痕跡が」

「ああ…………、なるほど。棘変化は、正式な術式ではないですからね」

「どういう事でしょうか」

 女性研修医が麻羅に質問する。

「体内で、正規の手順を踏まない術式なのです。外部の力に依存するから簡単に変化出きるし、力を使わずに済みます。ただ、使うには冷静さが必要不可欠なのですよ。はらわたが煮えくり返っている状態の神には不向きです。これは全身が燃え上がった要因の、ひとつかも知れませんね…………」

「なるほど!」

「さすがです麻羅先生!」

「引き続き検診を続けましょう」

 こうして医師団は、あれやこれや言いながらフツヌシを診察し続けた。

 ええい無礼な!

 はらわたが煮えくり返っていて悪かったな!

 おいっ!

 俺を早く、ここから出せ!

 お前らがわざと俺様の目を見え無くし、言葉を奪っているのでは無いだろうな?

「フッ」

 一瞬、気の抜けたような、息の音が聞こえた。

 …………この野郎。

 天津麻羅の奴、おおかた今の俺様が可笑しくて、嘲笑ったのだろう!

 いけ好かない奴だ!

「フツヌシさん、落ち着いて下さい」

 落ち着けるか!

 ウオーッ!

 早く!

 俺を!

 ここから!

 出せ!!

 ついにフツヌシは怒りに任せ、全身をばたつかせた。


揺光(アルカイド)


 キンッ! という音が鳴る。


 天津麻羅が発した声とその音には、音楽のような響きがあった。


 えもいわれぬ良い香りが、シャワーのようにフツヌシに降り注ぐ感覚だ。

 …………何かの術式なのだろうか。

 温かくて慈愛に満ちたこの力により、一瞬にして、心が落ち着いてゆく。

 もっと暴れ回りたい所だったが、急に安らかな心地に変わり、眠くなってくる。

「効きましたか」

「効いたようです」

「マーベラス!」

「マーベラス、麻羅様!」

 マーベラスはもういい。

「なるほど。効いたなら良かったです。フツヌシさん、今からいくつか質問をしますので、意識がはっきりしていたら、右手をあげて下さい」

 やなこった。

 しかし、自分でも驚いたことに…………

 フツヌシの体はその意志決定に背き、大人しく右手をあげた。

『何?!』

 俺は何故、麻羅の指示に従ったのだ?

 さっきの揺光(アルカイド)とやらのせいか?

「今、体は熱いですか?」

 フツヌシは首を横に振る。

「今、体は冷えていますか?」

 フツヌシは右手をあげる。

 体はとても冷たい。

 寒くて凍え死にそうだ。

「そうですか。では、今はそのままでいるのが、ベストですね」

 こう寒くては、死ぬでは無いか。

 生暖かい綿あめ布団では物足りぬ。

 湯たんぽを早く用意しろ。

「ご自身のことはわかりますか?」

 もう一度フツヌシは右手をあげた。

「そうですか。あなた様は灰になり、死んでしまう直前の状態で、ここに運ばれてきました。とても危ないところでした」

 ハイ?

「まさに今のあなたは『死んじゃうかーもーしーれーぬー』状態と言えます。実は、その深刻な状況は今もなお続いております。一歩間違えると相当、あなたは危ない」

 …………何だと。

「一刻を争う状況でしたので、眠っている間に手術をさせていただきました。何とか聴覚と、触覚と、嗅覚は元の状態に戻っています。今後どうなるかは、まだわかりません。視覚は色々と試みれば、戻る可能性があります」

 …………今、何と言った。

 ふざけんな、天津麻羅。

「あと。手は尽くしましたが……声は、もう以前と同じようには、出ないでしょう」

 声が出ない?

 おい!

 嘘をつくな!

 そんな馬鹿な話があるか!

 お前は医者だろ?

 世界をまたにかける名医だろ?!

 俺様の怪我くらい、元に戻せなくてどうする!

 それともこれは夢か?

 俺様の夢の中なんだな?

 だからあんなしょーもない老婆まで、出てきやがったのか!

 俺にまでイケメンを処方するとか言うつもりじゃ無いだろうな?!

「あなた様は衰弱しきっておられます。幸いこの病室はしばらく空いていますので、全快するまで入院してくださって大丈夫です。時々様子を見に来ますね」

 待て!

 おかしいだろ!

「どうかお大事に」

 麻羅と研修医らの医師団、看護師マイアは、事務的な様子で優しい言葉をフツヌシにかけると、部屋を後にした。

 バタン、と扉が閉まる音がする。

 はああ?

 入院?!

 クスコ殺害計画はどうなる。

 入院している場合ではない。

 全てが中途半端なのだ。

 フツヌシは自分の頬をつねった。

 痛い。

 自分の頭を撫でた。

 髪の毛は一本も生えていない。

 いつもの事だからな。

 …………仕方が無い。

 声を出そうとする。

 目を開けようとする。

 どちらも無駄だ。


 ────────。


 今まで数多くの絶望感を味わってきたが、今ほどひどい感覚では無い。

 心がカラカラに渇いているせいか、涙の一つも出てこない。


 現実に戻りたい。


 まだ計画の途中なのだ。



 あの場所へ戻る。



 何があっても…………




 腹が減った。