本祭りの舞は、神社中央にある張り出し舞台ではなく、正式に神楽殿で行われる。

 祭壇の上で舞う筒女神に、岩時の地に降臨した神々は酔いしれ、魅入られている。

 最強神の側近である『八神』も例外ではなく、いつしか弥生の姿を食い入るように、目に焼き付けていた。

「まずは、魂を狩る」

 深名斗は、岩時本祭りを自室の壁面に移された映像で見つめていた。

 弥生の魂が、肉体から離れる瞬間を見計らう。

 体を奪うのに適しているのは、弥生の魂が抜けて空っぽになった瞬間だ。

 魂を奪うのに適しているは、筒女神の舞を踊っている時間である。

 本祭りで舞を踊っている間は魂が肉体から離れて浮遊するため、狙いやすい。

 クスコが少女の肉体を、ほとんど支配してしまうだろうから。

 八神の誰かがタイミングを見計らって、器の外に出た弥生の魂を、攫えばいい。

 クスコはそう長く弥生の中に、入っていられないだろうからな。

 『筒女神の舞』が終わった直後、クスコは弥生の体から出るに違いない。

 器に侵入して自由自在に動かすことが叶えば、高天原へ運ぶのはたやすい。

 それが深名斗の計画である。

 …………だが。

 張り詰めた空気感に生まれる得体の知れない力に、神々は吸い寄せられてゆく。

 白と黒の羽衣が、巫女姿の美少女を中心にくるくると、笑うように踊っている。

 あれ?

 深名斗は弥生に注目した。

 最初は白と黒のドラゴンが、追いかけ合っているように見えていたはずなのに。

 時間軸が変化した?

 よく見ると、筒女神の手の中で打ち鳴らされる石が、白だけに変わっている。


 かちり!


 かちり!


 …………?


「おかしい」


 ほんの一節分だけ『岩時の舞』の根幹部分が抜け、未来へと飛んていた。


 最強神にしか理解出来ない、大きな変化。


 ────何だ?!


 あの強大な力は。


 誰も気づいていないのか?


 魂を攫う?


 弥生の魂は体外に出て来ようともしないし、それどころではない。


 八神が全く、彼女に近づけない。


 ────クスコめ!


 さらりと力を受け入れ、軽い微笑みで返し、筒女神は神々の心と一体化している。


 深名斗は憤慨した。

「ど阿呆め! 許さん!」

 吐き捨てる様に叫んだ深名斗に、爽は呆れて声をかけた。

「誰に怒ってるの?」

「八神だ! 舞が始まった直後に弥生の魂を狩らないから失敗する!」

「無理だよ。いくら八神でも、肉体から離れたがらない魂には、手出し出来ない」

 時の神・爽も、とっくに時間軸の変化に気づいている。

 確かにこれは予想外だ。

 もしかしたらクスコ以外にも何者かが降臨していて、弥生の体を守っている?

「弥生の事はもう諦めたら? あの子の魂はどうやら、異質みたいだし」

「…………久遠はどうしている」

 爽は驚いた。

 深名斗はとうに、久遠の存在を忘れているかと思っていたのに。

「濁名を退治したから早々に、こっちへ戻る準備してるんじゃない?」

 宵祭りでは、最強の神が人間の女性に宿り、邪神を打ち破った。

 それを目にした人間達の驚きと戸惑いと畏怖の念は生涯、消える事は無いだろう。

 弥生を今後どう利用しようか企む者達で、この世界は溢れかえっているはず。

 なのに。人間達は心から、巫女舞を楽しんでいる。

 涼やかな顔をしながら。

 まるで彼らは弥生という存在を、はなから知らなかったかのような…………

「あの地とヤヨイに、一体何があったのだ」

「さあねぇ」

 深名斗は爽を睨みつけた。

「爽、お前とは長い付き合いだからな、俺の目を誤魔化そうとしても無駄だ。お前が星狩とやらに命じて、人間世界に行かせた事くらいは知っている」

「…………ちょっと面倒事を押し付けただけだよ。怖いなあ、相変わらず」

 爽はのらりくらりと、深名斗の視線をかわしている。

「あまり調子に乗らない事だ。俺を出し抜こうとしたらただでは置かない」

「肝に銘じておくよ」









「こちらです! 早く!」

 ここは、晴れ渡る空の上。

 梅は鳳凰の翼をはためかせながら、心配そうに後方に声をかけた。

 久遠は弥生を、自分の背中に乗せながら飛んでいる。

「わあ! 気持ちいいですね~♪」

 弥生は目を輝かせ、とても嬉しそうだ。

 キョロキョロと上下左右を見回しながら、空の冒険を楽しんでいる。

 どうやら彼女は、高所恐怖症では無いらしい。

「おい、エロ猫久遠! やよちゃんを落とすなよ!」

「妻を落とす馬鹿はいない」

「ムキーッ! 妻! 結婚式もまだのくせに、妻とかほざいてる!」

 リョクはぷんぷん怒っている。

「本当にけ、け、け、けけ結婚するつもりなのか? 信じられ無い!」

 …………やれやれ。

 龍宮城には、空風輪という故郷を失った白龍・風雅も一緒に来る事に決まった。

 彼の固い意思を聞くと、白蛇のカナレも、彼と一緒に来ると言って聞かなかった。

 そんなわけで現在、風雅はカナレを背に乗せて、優雅に久遠の横を飛んでいる。

 仲間が一緒なら心強いので、久遠は彼らを龍宮城へ連れて行くことにしたのだが。

 風雅とカナレだけなら、まだいい。

「やよちゃん。コイツの正体、あのエロ猫だったんだぜ! 僕、匂いでわかっちゃったんだ!」

「えろねこ?」

 うっわ!

 狛犬リョクよ、何故今それを暴露する?!

「ほら、やよちゃんの胸にさ、ぐりぐり~っと、顔を押しつけてたあの、やらし~い猫だよ!」

「ええっ?」
「押しつけてない!」

 言葉選びを間違えるな!

 ちょっと触れてみただけだ。

「コイツとか、失礼な奴だな。犬は人につくというが……何故お前までついて来たんだ」

 負け犬フラグが立ちまくりだというのに。

「やよちゃんを守るためだ!!!」


「静かになさいっ!!!!!」


 梅の怒号が響き渡る。


「気づかれたらどうなさるおつもりですか!!!」


「「はいっ」」


「空の上だからといって、気を抜き過ぎです!!!」


「「すみません」」


 あなたの声の方がうるさいです。

 とツッコミたかったが、どうも梅には弱い久遠だ。

「いいですねぇ…………私も梅様になら、激しく怒鳴られてみたい」

 星狩の目は、梅のこめかみに浮かぶ血管を見て、ハートマークになっている。

 変わった性癖の持ち主である。

「後祭りは大丈夫かな? 私、そこでも舞を披露する予定だったの」

「私より真面目だな、弥生は」

 心配そうな声を出す弥生に、久遠は苦笑いした。

 後祭り、とは岩時祭りのラストを飾る「お疲れ様会」である。

 もちろん人間側が主催で、巫女舞をはじめとする舞台も用意されている。

 だが後祭りに関しては、ゆるく楽しくがモットーで、無礼講が許されている。

 準備から片付けまで頑張り、疲れ果てた人間達をねぎらい、霊獣達がこっそりと毎回力を発揮するのだ。

「多分…………後祭りは、大丈夫だろう」

 久遠は自信無さげに呟いた。












 岩時の地。

 後祭りで、筒女神の舞が披露されている。

 見ている者達は全員、度肝を抜かれて固まった。

 元気良い娘の声が、軽快に神社の境内に響き渡っている。

「ふんふ~ん♪」

 彼女は神社の中央に設置された張り出し舞台の上で、舞を披露している。

 はず。

「イワ! トキ! イワ! トキ! 清らかに~」

 にっこにこの笑顔で、巫女はリズムに乗りながら、歌を歌い続けている。

「生きたい」というエネルギーに、ただただ満ち溢れているのだけは確かだ。

 元気をもらえるではないか!

「きよ! らか! きよ! らか! イワトキよ~」

 ひそひそ…………

 あれ、一体誰だ?

 権宮司の娘、時刈弥生(とがりやよい)さんだそうだ。

『ねえ、なんか違う? やっぱ違う?』

 巫女娘に化けた狐のウバキは、念を使って獅子アイトに恐る恐る尋ねた。

 舞台の上で彼は、今にも泣きそうになっている。

『いいから集中しろ!』

 弥生のふりして、何とか胡麻化せ!

 俺に聞くな!

 泣きたいのは俺だって同じなんだ!

 いきなりお別れなんて…………寂しくてたまんねえじゃねぇか、弥生!


 獅子アイトは心で泣いた。


 




「あれ。もうすぐ『穴』に着きますよ? クスコ様。弥生さんの中におられても、まだ大丈夫なんですか?」

 星狩が尋ねると、弥生の中にいるクスコは腕組みをしながらこう答えた。

「どこまでこの体に入っていられるか、やってみようと思っちょる」

「…………このまま天界まで、行けたりして」

 冗談めかして久遠が言うと、弥生の中にいるクスコは首を横に振った。

「自由に天界と人間世界を行き来できたなら今頃ワシは、ウハウハな青春時代を送れたのにのう…………。ワシが『穴』を通り抜けられるのは多分、反転出来た時だけなのじゃ」


 反転。


 その言葉を口にしてしまったのが、良く無かったのだろうか。


 弥生は胸を押さえ、苦しそうに久遠の背の上でうずくまった。


「……弥生? どうしたんだ」


 返事はない。


 弥生は突然、自身に与えられた時刈の剣を、腰の鞘から引き抜いた。


「久遠よ」


 弥生の喉から、深名斗の声が響き渡った。



「よくも俺を騙したな」