巨大な白龍・濁名(ダナ)が、小さな本殿の中で狭そうに蠢いている。

『マズイ! ゲロより不味い!!』

 ぺっ!!

 かみ砕かれた人間の魂を、濁名(ダナ)は唾液と共に口の中から吐き出した。

 黒く濁った魂は息絶えており、空となった肉体の方は起き上がって蠢いている。

『この娘、超マズかった! しかも見た目もブスだった!!』

 食リポとしては零点である。

 何がどう不味いのか説明できていないし、娘がどうブスなのかが伝わって来ない。

『よくも…………よくも私にこんな魂を食べさせたわね!! 全員死ね!!!』

 牙を剥き出しにした濁名は、本殿からぬるりと外へ出て、何かの呪文を唱え始めた。

 神社の中央で町の人達が身を寄せ合い、固唾を飲む。

 平らな地面が大きく揺れ、次々と亀裂が入る。

 誰もが必死に駆け出して逃げようとしたが、間に合わない者達もいた。

 5~6人いた町の人々が吸い込まれるように、その亀裂の谷へと落ちてゆく。

 濁名の怒りはおさまらない。

 かろうじて命が助かった町人達をまだ、ぎろりと睨みつけている。

 魂を抜き取った美しい巫女の、空っぽになった体を口にくわえたまま。

『ちゃんと霊水は飲ませたの?! 気枯れ()の中にも入れないじゃない!!』

 濁名は高天原から降臨した土龍で、岩時の地を守るよう命じられていた。

 それなのに。

 残酷な殺戮は彼女にとって、当たり前となっている。

「白龍様! 申し訳ございません! 申し訳ございません!!」

 本殿に置かれた神器である白く小さな盃だけは、微動だにしない。

コレ(・・)まさか、依り代じゃなかった、とか言うんじゃないでしょうね』

 濁名は蔑むように、自身が吐き出した魂を睨みつけた。

「…………私の娘です」

 町長は涙を浮かべながら答えた。

 大切な娘です。

 まさか神と話が出来るとは。

『霊水は?』

「ちゃんと飲ませました」

『飲ませたのに、このゲロゲロな味なわけ? どこが光る魂なのよ』

「申し訳ございません!」

 町長はひれ伏して謝罪する。

 謝る必要は無いはずなのに。

 本殿に祀られた神体も、極上の霊水も、濁名の前ではただの器と飲み物である。

 岩時の地のしきたりなど、濁名には何の意味もない。

 捧げられた魂の味わい方が、濁名には全く理解出来ないだけなのである。

「どうか! どうかもうしばらくお待ち下さい────」

 価値を見出せない者にとっては、その力すら何の意味も持たない。

『もうしばらくってどのくらい?』

「…………!」

『どのくらい待てば、光る魂が食べられる?』

「…………そ、それは」

 誰にもそんな事わかりません。

 とは答えられず。

「書物によると、一年から三年の間、誰とも関わらず、神と相対するための心を作り上げたものだけが、魂を浄化できるのだとか…………」
『一年だけ時間をあげる』

『本物の美味しい魂を持って来なさい。じゃないとここにいる全員、殺す』

 ────一年。

「必ずや! あなた様に捧げる魂を、必ずやお持ちいたします!」

 濁名は美しい巫女の体を引き寄せ、血をすすり、バリバリと体ごと食い始めた。

「うっ…………! お待ちください白龍様! その娘の体を、どうか…………」

 お返しください。

 町長が叫ぶ。

「ご勘弁を! 白龍様、どうかご勘弁を! せめて供養のため、骨一本だけでも」

『モグッ……もう体は不要でしょうよ。ゴクッ……気前よく捧げたくせに、今更何ケチなこと言ってんの』

 ガツガツ、モグモグ。

 ゴクン。

 濁名は巫女の体を、全部食らい尽くしてしまった。

「わああああっ! 茜! その娘は、私の、大切な…………」


 大切な娘だったのです────


 慈悲を乞う町人の声は、濁名の叫びにかき消された。

『ウルサイッ!! 黙れ人間!!』

 もう一度巨大な地震が発生する。

 地面に亀裂が入り、今度は10人くらいが落ちてゆく。

「わああああ! もう、おやめください!!」

 何故人間達が、娘の魂を食われた時より、体を食われた時の方がより大騒ぎするのか、濁名にはさっぱりわからない。

 グロテスクだからだろうか。

 娘を食われた町長はさすがに、恐怖心を抑えられない。

「申し訳ございません! 不味いものを捧げてしまい、誠に申し訳ございません!」

『大切な娘じゃなかったの? へえ。親のお前も不味いって認めるんだ?』

 『大切』という言葉が、今の濁名にはわからない。

 だがこの町長の態度に、ますます不快感を感じる。

 だから人間は弱いのだ。

 心も。

 体も。

 自己保身のためなら平気で、娘の魂すら貶める。

 本殿の入り口に佇む町長と一部の町人たちが、それでも謝罪を繰り返し、土下座しながら震えている。

『くくっ! 哀れだねぇ…………』

 町長、そうだよ、お前の娘が悪いんだ。

 お前の娘の魂が、私の口に合わないのが悪い。

 ついでにお前の娘の顔が、ブスなのが悪い。

 全てお前らが悪い。

 子の命を奪われた上、不味いと言われ侮蔑されたというのに、許しを請うため土下座するお前らが悪い。

「本っ当に、申し訳ございません!」

『美味い魂を持って来なければ、この町なんか守ってやらない』

「…………!」

 神は人を恐喝したりしない。

 神は人と取引したりしない。

 久遠と清名は全て見ていた。

 濁名のようにはなりたくない。

 決してなりたくない。

 そう、心から思った。

「権宮司の子で、弥生という生娘がおります。一年で『気枯れの儀式』をやらせれば、かなり美味しくなるはずです」

『じゃ決定ね。一年後に必ず、その弥生を連れてきなさいよ』

 龍の目に映っていたのは、一年前の出来事だったようである。

 清名が怒りを露わにし、震えながら小さな声を発する。

「────許せない」

 久遠も頷いた。

「ああ」

 それにしても何故ここまで、濁名は落ちぶれてしまったのだろう?

 濁名がやっている事は、黒龍と全く同じでは無いか。

「久遠ちゃん、アタシあの場所へ行く!」

 久遠も清名と同じ気持ちだ。

「私も行くよ」

 だが清名も久遠も、人間世界への行き方がわからない。

 もう一度『龍の目』を覗き込むと、濁名がこちらを見てニタニタと笑っている。

 一年前の濁名、にあたるのだろうか。

 まともに目が合った清名は怒り、龍の目を通して濁名に怒鳴りつけた。

「濁名! 何しているの! あんたは白龍でしょ?」

 あっ!

 久遠は息を飲んだ。

 濁名は笑いながら泣いている。

『清名っち…………全部、清名っちのせいなんだからあ! あんたは私だけのものだった。なのにあんたが、久遠なんかの事を好きだって言うから…………』

「…………へ?」

 濁名はおいおい泣き出した。

 久遠は面食らった。

 今、確かに濁名が自分の名を口にした…………

 ぞっと身震いしてしまう。

「アタシ『あんたの清名』になった覚えはないわ」

 ゆらり。

 濁名が性欲を露わにし、美しい人間の姿へと変化した。

 燃えるような赤い目、黒に近い赤髪、白い装束。

 既に白龍では無い。

 濁名は叫ぶ。

『でも清名っちが悪いのよ! 私のものになってくれないから!』

「ハア?! ナニソレ」

 清名は顔を赤くした。

『何度お願いしても清名っちが私と、結婚してくれないから! 私が死ぬまで満たされないの! それってぜーんぶ、清名っちのせいなんだから!!』

 こんな世界、壊してやる。

 じゃなきゃ自分が死んでやる。

 どっちだっていい。

 どうせならスカッとしたい。

 最後に禁を破って美味しいモノを食べたって、いいではないか。

「アタシが悪い? 冗談じゃないわ! 何でアタシが、アンタの気持ちに応えてあげなきゃなんないの?! 好きな神くらい自分でちゃんと選ぶわよ!」

 清名は怒りを露わにした。

「アタシが好きな神は久遠ちゃん! それは永遠に変わらない。久遠ちゃんが振り向いてくれなくたってそれは、久遠ちゃんのせいじゃない! アタシは久遠ちゃんが誰を選んだって、久遠ちゃんの幸せを心から願う!」

『…………!』

「アタシの気持ちは変わらない。だから濁名! アタシがアンタと結婚するのなんて、黄泉に落とされてもありえないわ!」

『…………』

 久遠はただ黙っているしかない。

 清名の言葉は嬉しいが、この状況ではどう受け止めていいのかわからない。

『だったら!! 清名っちも久遠も、みんな、みーんな、死んじゃえばいいんだわ! いいよ、私が何もかも、ぜーんぶ食べてやるんだから!』