律が奏でる音楽は心を癒すような優しいメロディーへと変わり、大広間には再び静寂が訪れた。

 だが、すぐに変化が訪れた。

 桃色のドラゴンと人間の大地が円卓上での戦いを終えたばかりの、その瞬間。

 スズネの笑い声が、螺旋城の中に響き始めたのである。


 おーほほほ…………


 おーほほほ…………


 その声は徐々に大きくなっていき、螺旋城をさらに醜く変化させる。


 巨大蜘蛛の先端には、バラに似通った黒い花がたくさん咲き乱れてゆく。


 ────来るなら来い。


 時の神・爽はもう一度、術を唱えた。


天璣(フェクダ)!」


 ────ガチッ!!


 動きを止めた螺旋城はジューッと煙を出し、音を鳴らしながら城門を開いた。

 ポトポト地面に落ちた花は、ドロドロと液状化して消えてゆく。

「…………何が起きてるんだ?」

 花が落ちれば落ちるほど、今まで嗅いだ事の無いくら強烈な腐臭が漂う。

「うわっ………伽蛇(カシャ)の香水よりキツイ! マジでキツイ! これじゃ匂いにやられて死んでしまいそうだ!」

 匂いに対して強いこだわりがある爽は、漂う腐臭に我慢できず立ち止まり、最も率直な感想を漏らした。

 気が急いている梅は、そんな爽の文句を鬼スルーした。

「やっと中へ入れそうですね、爽様。早く入ってスズネを探し出しましょう」

「…………ああ。でもさ、梅は気になんないの? この臭い」

「それどころではありません。さ、お早く」

「…………ハイ」

 時の神の統領も、毅然とした梅の指示には従わざるを得ない。


 これではどっちが上の立場なのだか、わかったものではない。


 爽は素直に頷いて、梅の後についてトボトボと螺旋城の中へと入っていった。













 ─────バンッ!


「マユラン様!」


 大広間の扉が音を立てて開け放たれ、ジンともう一人、マユランが初めて見るオレンジ色の髪を一つに束ねた少年が姿を現した。

 何故か彼らを追いかける様に、黒い布を被せた風変りな鳥かごが、ユラユラと気ままな様子で空を飛んでいる。
 
「ジン…………!」

「ご無事ですか? マユラン様!」

 血相を変えたジンともう一人の少年が、マユランのもとへ駆け寄って来る。

 冷静だったはずのジンが何故、こんなに我を忘れて取り乱しているのだろう。


 いきなり、疳高い声が大広間に轟いた。


 時の神スズネの声である。


 おーほほほ!


 おーほほほ!


 これで何もかもがワタクシのものですわ…………!

 スズネの笑い声と共に、世にも恐ろしい悲鳴が轟く。

 禍々しさ、刺々しさ、あらゆるものに対する憎悪が込められた悲痛の叫びだった。

 おーほほほ……

 おーほほほ……

 おーほほほ……!

 マユランはこの声を聞くと、心が激しく動揺した。

 自分が認めてしまった感情を、最も大きく揺さぶる声色。

 呼び覚まされてしまったものを、無理やり増幅させてしまうような……

 ツンと耳を刺激するような静寂の中大広間に姿を現したのは、倒したはずの時の神・スズネの姿だった。


『せっかく律のおかげで、蘇る事が出来たのです。今度こそ邪魔はさせませんよ、マユラン!』


 壁面から赤い花びらを持つ黒い植物が縦横無尽に現れ、尖った爪に似た花びらを凄まじい勢いで飛ばして来る。

 それらは全て、敵意のような鋭さを持ちながら、全てマユランへ向けて放たれた。


 ビュッ!


 ビュッ!


 ビュッ!


 ビュッ!


 カンッ!


 カンッ!


 カンッ!


 カンッ!


 マユランは飛刀を放ってそれを当てることにより、赤い花びらの攻撃を躱した。


 さらにマユランは、懐から取り出した飛刀を数本放つ。


 ビュッ!!


 ビュッ!!


 ビュッ!!


 五角形の飛刀は小さな螺旋を描いて上昇し、城の天井にあるステンドグラスを再び破壊する。


 ガシャーン!!


 ────同じ攻撃は二度と、通用しませんわ!


 マユランの飛刀は、大広間の天井にあるステンドグラスに全て突き刺さり、それらの破片が弧を描きながら、黒い茎に何度も深々と突き刺さる。


 ブシュッ!!


 ブシュッ!!


 ブシュッ!!


 マユランは螺旋城に向けて、祈りを込めて言葉を放った。


「お願い、今度こそ負けないで。…………自分自身に」


 ────?!

 
 色とりどりのステンドグラスの破片の雨が、大広間じゅうに舞い上がる。


 渦を巻きながら巨大な塊と化した鋭い破片は、壁面から生えた鋭利な先端を持つ、黒い花びらと茎に向けて一斉に襲い掛かる。

 破片の塊は、城から生えた黒い花の茎に何度も何度も深々と突き刺さった。


 ギャァァッ!!


 血液に似た色のどす黒い樹液が、あたり一面に飛び散った。


 スズネの悲鳴が何度も轟いたが、今度はマユランの思う通りにいかなかった。

 黒い花は傷つけば傷つくほど叫びながらさらなる腐臭を放ち、どんどん増殖してゆくのである。


 ヨクモ!


 ヨクモ!


 ユルサナイ!!


 赤い花びらがもう一度、あちらこちらからマユランを襲う。


 マユランにはもう、飛刀が残されていなかった。


 絶体絶命の、その瞬間。


 ビュッ!


 シュンが放った飛刀が尖った赤い花びらに命中し、すかさずマユランの身を守る。

 ジンは狼牙棒(ろうげぼう)を縦に大きく一振りしながら、術を唱えた。

天狼(てんろう)!」

 すると棒の先端についた無数の棘が、尖った赤い花びらに全て命中し、あとかたも無く消滅させてゆく。

 ────おのれ!

 咲き乱れていた黒い花は、形勢が逆転したと判断したのか、グルグルと幾重にも巻きながら壁面へと蔓を引っ込め、蕾の状態へと戻っていった。
 
 次の攻撃まで、力を蓄えているかのようである。


「…………ありがとう……ジン。それから………そこのお方」


「シュンと申します。螺旋城の召使として雇われることになりました」

 シュンは跪き、マユランに挨拶をした。

「お初にお目にかかります。マユラン様」

「シュン。助けてくれて、本当にどうもありがとう」

 一呼吸置き、マユランはジンに質問をした。

「…………一体、何が起こっているの?」

 マユランは大広間の中をキョロキョロと、女王ユナと律の姿を探し求めたが、彼女達はもうどこに見当たらない。

 先ほどまでは一緒にいて、音楽とギャンブルに講じていたはずだったのに。

 開陽(ミザール)(魂の核)だった二体の大地も既に消え去っており、いつの間にか女王ユナや、円卓や、律と共に姿を消している。

「…………」

 まるであの出来事が、夢か幻であったかのようだ。

 ジンはマユランの問いに答えた。

「時の神スズネが、魂の花の力を使って復活しました。この城にいるのはもう、誰であれ危険かも知れません」

「魂の…………花」

「お若いあなたは、何もご存じ無いでしょう。ユナ様はあれの存在を最後まであなたに隠していた。今までずっと時を管理していたのは他でもない、我々狼の一族だったのですから」

 ジンは順を追って説明した。

「マユラン様、ここは大変危険です。一旦螺旋城を出ましょう」

 時代の流れにより、今はジンをはじめとする狼の一族が、時間や魂の花を全て螺旋城の中で管理していたということを。

 本来はマユランがするべきだった仕事を、狼の一族がしていたのだという事を、マユランは初めて知った。

「……いつも、大変な思いをさせていたのね」

「それが役割でしたから」

 形ばかりの王女とはまさに、自分の事だ。

 マユランの心に、衝撃と恥ずかしさが同時に襲ってきた。

 責任は自分で負わなければならない。

 そのための力なのだから。

「ええ。わかったわ。早く螺旋城を出ましょう」

 ジンとシュンの後に続き、マユランは大広間を出て回廊を渡り、螺旋城の城門へ向かって歩き出した。

 やはり一度、自分は外から螺旋城を見つめた方がいい。

 その方がずっと、色々な事がわかるようになるのかも知れない。

 城の中にばかりいるよりも。

「……ここにね、確かに律がいたの。あとお母様も。あと、大地という名のドラゴンと人間の魂の核という、開陽(ミザール)もいたのよ。彼らは、どこへ行ってしまったのかしら……」

「時の狭間に、迷い込んでしまったのかも知れません」

 マユランは納得し、頷いた。

 しゃんと頭を上げ、毅然とした様子のマユランには、女王としての風格と、大人の女性としての気品が既に漂っているように感じられ、シュンは驚きを隠せなかった。

 想像以上に年若い少女なのに深い悲しみと向き合い、戦った後の様に見える。

 必ず彼女を守りたいと、シュンは思い始めていた。



 鳥かごの中で目を覚ました黒いドラゴンは、やれやれと大きなあくびをした。



『せっかく眠っていたのに、この僕を起こすなんて』