ドドーン!!

 音が(とどろ)き、ざわめきをかき消す。

 大きな花火がパラパラと上がった。

 晴れ渡った大空を鮮やかに彩り、岩時町が震えている。

 この花火は(まつ)りの合図だ。

 2019年8月1日。
 昼と夜のちょうど境目。

 お囃子(はやし)の音が鳴り響く。

 七年に一度の『岩時本祭り(いわときほんまつり)』が始まった。

 神々に会うために人々が考えたこの大がかりな祭りは、3日間かけて大規模に行われる。

 一匹のドラゴンが、その上空を勢い良く飛んでいた。

 その桃色の翼は、大きな弧を描きながら風を切っている。

 岩時町の人々は、彼の姿にまるで気づいていない。

 (ドラゴン)の名は、大地(だいち)という。

「やっと、さくらに会える」

 大地は胸が高鳴っていた。

 婚約者である露木(つゆき)さくらの愛らしい笑顔が心に浮かび、嬉しさで頬が緩んでしまう。

 会えなかったこの1年は、大地にとって100年くらいの長さに思えた。

 父親である久遠(くおん)は、夏祭りの時以外に大地が人間の世界へ来ることを、決して許してくれなかった。

 正式な結婚式を執り行う前に、ムラムラとした気持ちになった大地が、さくらの血を吸ってしまうのを防ぐためだ。

『何かの過ちでもあって、もしもお前が成人前に、さくらの血を吸ってみろ。黒龍神にどんな目に遭わされるか、想像できるだろう』

「……血なんか吸うかよ。今まで一度だって、そんな気持ちになった事ねぇのに」

 何を言われても耐えた。

 婚約者(さくら)を大切に想っていたからである。

 父に反発したりせず、年に一度彼女に会える方を大地は選んだ。

「俺……よく我慢したよな」

 どんなに離れていても、大地がさくらのことを思い出さない日は無かった。

 彼女の笑顔を神社の『龍の目』から見守るだけで、心がほかほかと温かくなるのだ。

「会ってゆっくり話をしたいだけなのに。何なんだよ、ムラムラとか」

 彼女の幼馴染である仲間達も、大地にとっていつしか、大切な存在となっていた。彼らに会えるのも、楽しみのひとつである。
 
 夢にまで見た岩時町(いわときちょう)を空から眺めていると、急に誰かの声が聞こえた。

「おや」

 声の方角へ振り向くと、そこには翼を広げた大きな白龍(はくりゅう)が、大地と同じ方角へ、勢いよく飛んでいた。

「おぬしは誰じゃ。桃色の」

 その青い瞳は大地の深緑色の瞳に映りこみ、不可思議な動きをしながら、ゆらゆらと揺れている。

「……お前こそ誰だ?」

 白龍(はくりゅう)の細くしなやかな巨体からは、得体の知れない(パワー)が放たれていた。丸飲みにされそうな恐怖を感じ、大地は思わず息を飲んだ。

「ワシか。ワシは、クスコじゃ」

 歌うような声でクスコと名乗った白龍は、飄々(ひょうひょう)とした様子で翼を動かしている。

 その巨体から放つ存在感(オーラ)は凄まじいが、クスコが大地に攻撃を仕掛けてきそうな様子は無かった。

「……クスコ? それは名前なのか」

 翼を動かすのを完全に忘れ、大地は空からガクンと落ちそうになった。

 圧倒的な迫力の白龍(クスコ)に対し、畏怖(いふ)を感じずにはいられない。

 自分の5倍以上の大きさがある白龍(はくりゅう)の透き通る鱗は、夕焼け空の色を帯び、キラキラと輝いている。

「よく覚えてないのじゃ。ワシャ、『記憶』がおぼろになっとってな」

 父である久遠(くおん)以外の白龍(はくりゅう)を、大地は生まれて初めて見た。

「……昔の記憶が無いのか? どういう意味だ」

 白龍は、その数がとても少ない。

 そのため神々の世界では、伝説に近い存在として崇められていた。

「わからんのじゃ。イテテテテ……」

「……どうしたんだ?」

「首の後ろが痛いのじゃ」

 クスコの後方へ回って首の後ろを見てみると、太い樹木を漆黒に塗りつぶしたような、ごつごつとした巨大な矢が刺さっていた。

「なんだこれ。黒い矢が刺さってる」

「やはりか! だからずっと痛かったのじゃな」

「やはりか! ってお前、……刺さってるのに気づかなかったのか?」

「ワシャ首の後ろを自分では見る事ができんし、手が届かんでの」

「……可哀相にな」

 大地は、クスコが気の毒になった。

 クスコの首の後ろに刺さっている矢は、とても大きくて太い。

 白い皮膚を貫いた部分のまわりには、乾いて黒くなった血の痕《あと》が見える。

 かなり前からこの矢は、彼女の首に刺さっていたようだ。

 まともな状態ではない。

 できるなら自分が、この矢を抜いて楽にしてやりたいと、大地は思った。

「ちょっと待ってろよバアさん。いや、ジイさんか?」

「クスコじゃ。こう見えて乙女じゃぞ。ジィさんとは! 何たる言い草」
「クスコな」

 大地はクスコの言葉に相槌(あいづち)をかぶせながら、彼女の背中に近づいた。

 突然。

 黒い矢から雷に似た光が放たれ、バチバチと音が聞こえた。

「うわっ!」

 矢の表面からさらに、数えきれない小さな矢が、大地めがけて勢いよく飛んできた。

 ────刺さる!!

 大地は咄嗟(とっさ)に、その矢から身をかばう様に、体全体を丸めた。

 だが、無数の黒い矢はすべて、大地の体を通り抜けた。

 どれ一つとして刺さらない。

「何が起こったのじゃ?」

 視線だけを大地の方へと向けたクスコは、この状況に驚きの声をあげた。

破魔矢(はまや)から出た、棘の矢(とげのや)か!」

 小さな棘の矢は大地めがけて、なおもビュンビュンと襲いかかっている。

「トゲノヤ??」

 滑らかな(うろこ)で覆われた大地の体をスルスルと、何千本もの小さな矢が通り抜けている。

 矢が体に刺さった感覚が無い分、大地にはこの状況がたいへん不気味なものに感じられた。

「……気味悪いな」

 クスコはぐるりと体の向きを大地の方へと変えた。

 その途端、棘の矢の攻撃はぴたりと止まり、ただの一つも飛んで来なくなった。

「棘の矢はおぬしの体を、(つらぬ)けなかったようじゃのう」

 通り抜けたあとの黒い矢は、目的を遂げられないまま空中で飛散(ひさん)し、みるみるうちに自然消滅していった。

 クスコの目には、感嘆と驚きの色が宿った。

 彼女は大地の姿を上から下まで、しげしげと眺めた。

「……じつに不思議であった。あの矢はおぬしに、影響を与えることができんかったようじゃ」

 影響?
 
 クスコの言っている意味が、大地にはよくわからなかった。

 だがもうじき、岩時神社の大きな神楽殿(かぐらでん)の上空に着く。

 あの屋根の上なら、クスコの巨体を乗せることが出来る。

「その破魔矢(はまや)を抜いてやるよ」

 大地はくいっと首を動かし、ゆらりと降下していく。

「本当か? おぬし親切じゃの!」

「別に。棘が刺さらない俺なら、抜けるかも知れないだろ?」

「ありがとうの、桃色の!」

 クスコは嬉しそうに、大地のあとに続きながら、大きな体でぐるりと宙返りをした。

「バカ! 人間に気づかれるだろ?」

 ちょっとクセのありそうなバァさんだ。

 だが、クスコは悪いドラゴンでは無さそうに思える。

 ちゃんと抜いて、楽にしてやるよ。

 大地は苦笑いしながら、心の中でそう呟いた。