誰もお客さんが来ないなんて勿体ない。

そんなことを思いながら店内へ一歩足を踏み入れた、その時だった。


「動くな」


突然、低く艶のある声が響いた。

カウンターの椅子に腰掛けていたひとりの男性が目に入る。

気前よく出迎えられるとばかり思っていた私が予想外の言葉に目を見開いた瞬間。数メートル先にいたはずの男が、トッ!と目の前に降り立った。

人間離れしたその動きに、呼吸が止まる。

言葉を失った理由はそれだけではない。

紫紺の髪と深い海のような藍色の瞳。歳は二十代くらいだろうか?スッと通った鼻筋は見惚れるほど整っていた。

後退りをすると、閉められた扉に背が当たり、力強く顔の横に手をつかれた。俗に言う壁ドンだが、こんなにも殺気だった視線を向けられたらキュンとするどころではない。

威圧感のある声が耳を撫でる。


「それ以上俺の店に踏み込むな。何度来たって無駄だ。俺はお前たちに従うつもりはない。今すぐ帰れ」


レストランに入ってすぐに“帰れ”だなんて。

見下ろすような彼の表情は、整っているが故に迫力がある。


「ダメです、ご主人様!この人はお客さんです!国の役人じゃありません!」


慌てたように声を上げたケット。

それを聞いた男性は、微かに長いまつ毛を震わせる。


「客…?」