薄暗い洞窟の中、一陣の風が、タケルとリアを急き立てるように吹き抜けた。

目の前に地下都市への入り口があるのに、結界に阻まれていて一歩も進めない。結界を破るためには魔術師のリアの力に頼るしかなく、それには『異世界の形代』が必要だった。

タケルは、この世界に迷い込んでからずっと肌身離さず、剣と一緒にベルトに付けておいた携帯電話を手に取り、ギュッと握りしめた。

最新型でコンパクトさが売りだった銀色のボディには無数のすり傷や引っ掻き傷が走り、指先にざらざらとした感触を伝える。

ここまでの自分の道程が刻み込まれてるその傷の一つ一つを、そっと指先でなぞっていく。

この携帯電話だけが、二つの世界を繋ぐ唯一の形代で、これがなければ『竜の目』を見つけ出せたとしても、時空の扉は開かれない。

帰りたい。

家族が、友人が、自分を育んできた全てが在る、あの世界へ。

それだけを支えに、この戦乱の異世界を旅してきたのだ。

でも。

「タケル……」

心配げなリアの声に、タケルはゆっくりと顔を上げた。

「これを使おう、リア」

携帯電話を差し出したタケルを、リアが驚きの眼差しで見詰めている。

猫族の特徴を一番顕著に受け継いだ、大きなエメラルド・グリーンの瞳が、薄闇の中で一瞬、キラリと輝きを放つ。

「で、でも、『ケータイ』はタケルにとって、大切な物でしょう!? これがなかったら、タケルは元の世界に戻れないんだよ!?」

まるで自分の事のようにムキになるリアの瞳を、タケルは真っ直ぐ見詰めた。

「分かってる」

「分かってないよ。全然分かってない! 『ミサキ』にも、もう二度と会えなくなるんだよ!?」

語気を荒げて詰め寄るリアの言葉に、タケルは自分の世界で初めてできたガールフレンドの面影を思い浮かべた。

懐かしさが胸を過ぎる。

でもそれは、例えるなら兄が妹を思うような肉親の情に近く、恋い焦がれると言う感情にはほど遠い事に、タケルは気付いていた。

今のタケルにとって一番大切な物は、一緒に旅をしてきた仲間達であり、目の前で自分のためにムキになってくれる、この猫目の少女だった。

「リア、やってくれ」

タケルの決意に満ちた黒い瞳には、何の迷いもなかった。