眼鏡をかけた中年男性は軽く会釈しているけど、私は口をぱくぱくして反応出来ない。呼吸が、あがる。
 きもちわるい。遠くから押し寄せる耳鳴りの予兆にぎゅうと目を瞑ると、先輩が学生鞄で私を扉脇に誘導した。

「オズちゃんちびだから油断したら飲み込まれちゃうな」

「ちっ…チビじゃないし!」

「身長何センチ?」

「…ひゃ、160」

「俺182〜」

「バカデカいっすね」

「言葉には気を付けろ」

 きみちょいちょい口悪いよね、と指摘されてぷいっとそっぽを向く。何を今更。そもそも異性には優しい言葉を向ける存在に全くもって値しない。
 不定期な揺れの中、気を紛らわせがてら外を見る。流れる景色を何の気なく眺めてから、ふと私の頭の上あたりでポールを掴む先輩の腕の筋に目が合った。

 男性特有の、細身とはいえ女子よりは力強いそれ。

 そのまま視線をずらして不快そうに鞄を抱える乗客を見てからふと気づく。


 運転手が乗車制限をしたから、私が今楽なんじゃない。

 ステップにいるから、ゆとりがあるわけじゃない。


「…あつ、」


 …藤堂先輩(このひと)が、

 私のこと(かば)ってくれてるんだ。


 背中で乗客をセーブしつつ額に少し汗を浮かべた先輩と、そこでぱち、と視線があう。三秒ほど見つめ合っていたらふっと勝気に笑われた。


見惚(みと)れんなよ」

「みっ!? 見惚れてない!」

「またまた〜」

 黙ってれば素直にありがとうって言えるのに。
 こうやって相手に気を遣わせないようにわざとはぐらかすんだ、変なひと。


 ☁︎


「珍しい。同伴出勤か」


 学校に着くなり全校集会に向けて体育館に直行すると、既に集会に備えて待機していた藤堂先輩の親友・江坂《えさか》智也《ともや》が振り向いた。それから自身の右耳後ろあたりを指差して、

「寝癖までお揃いで。仲良いね」

「実は一緒に朝を」

「迎えてない」

「マジオズちゃんツッコミのキレ抜群よな」

「藤堂おはよう…これ、前話してた本なんだけど」

「え、持ってきてくれたのか!? 山ちゃん神!」


 一度江坂智也に絡んだ先輩は、こう言うとなんだけれど冴えない低身長の黒髪眼鏡に後ろから話しかけられていそいそと横道へ逸れていく。

 道を歩けば生徒の3人に1人には声をかけられるような先輩だ。スクールカースト上位系のわりに、あんな野暮ったい生徒とも話すなんて。なんというか、