「へっ…ぶし!」

「変なくしゃみ」

 隣で並びの良い歯を見せて笑う先輩にジト目をくれる。下から睨んでみせたら、彼は視線を泳がせてあー、大丈夫?とTAKE2を織り成した。


「いやしかし、服どうすっかな、俺の着る?」


 頭から水を被る。お風呂に入るときこそ日頃素っ裸で行っているそれも、服を着ていて、それが水ってだけで感じ方はまるで違う。到底先輩には言えないけれど、下着までびしゃびしゃなのだ。未だに髪からは水が滴っているし、じめじめと体
にまとわりつく制服がとにかく気持ち悪い。

 そんな私を見越してか、先輩はブレザーを両手で広げて言う。全女子が聞いたら目をハートにして飛びつきそうな発言だけど、私には出来ない。


「い、いいです。体操服あるんで」

「教室どこだっけ? 取ってくるわ」

「いや実はないです」

「どっちだよ」

 頭の上にタオルを置いて、小刻みに震える。何度くしゃみをしても、このまま風邪を引いてしまったとしても、頑として首を縦に振らなかったのは、元の状態で帰るには素っ裸に誰かの服を纏わなければいけないからだ。

 素肌に他人の服なんて、友だちでだって抵抗があるだろうに。私には、先輩しかいない。

 困り果ててすん、と鼻を啜ると、行く手を阻まれた。突然前に飛び出した、先輩だった。


「男性恐怖症にも度合いがあるのはわかってる、だから無理強いはしない。ただ俺はこの状況も克服の一環になればいいとは思う。

 男の服着んのはやっぱ、嫌だ?」

「…嫌っていうか…申し訳ない、から」

「質問を変えよう」

 それ以上の言葉は濁して目を逸らす私に、先輩は一度そっぽを向く。そして真っ直ぐに私を見降ろした。


「全身ずぶ濡れでこのまま家に帰るのと、
 俺の体操服着て帰るのはどっちがいい?」







(………あった、かい)

 普段当たり前にあるものが、当たり前じゃなくなった時。人はその物の重大さに気付くもの。
 結局トイレで何から何まで服を脱ぎ、素っ裸に先輩の体操服を纏って帰ることになった。春の暮れ、コンクリートに映えるオレンジ、頬をさらう風は物悲しくも優しい。

「わは。萌え袖だ萌え袖、いてっ」

 こんな状況でもなければ絶対着ない先輩の体操服は私にはぶかぶかで、そんな姿を彼はまた隣で茶化すから、持て余した袖でべしりと殴ってやった。