さよなら虎馬、ハートブレイク

 


 私には忘れられない記憶がある。
 エイにぃに傷つけられた日、私が間違えたあの頃。




 世界の夜明け。

 雨上がりのペトリコール。

 飛ばない鳥。

 空に伸びた鉄塔。

 寂しげな踏切。

 死の匂いをまとった、あの。



 振り向いた、いまにも壊れてしまいそうな瞳。



「でも今は違う。

 オズちゃんがこの世界でたった一人と死ぬことを選ぶなら、俺は世界でたった一人の誰かとままならない今日をもがきたい。

 だから、




 ——————————俺と一緒に、生きてください」



 あのひとは、



「………先輩、だったの…、?」



 欠けたパズルのピースが、かちり、とはまる音がした。

 途端、急激な記憶の逆戻で目眩を起こす体を、前に出た先輩が抱き止める。震えた。涙があふれた。ここにあった。ここにいたんだずっと。

 あの日のきみは。


「…、っもう、もう痛くないの…、?」
「痛くないよ」
「大丈夫なの、? もうっ」


 返事の代わりに唇を塞がれた。そのまま強く抱き竦められて呼吸が出来ない、と先輩の胸に手を置くと、そ、とゆっくり距離が開く。


「好きだ」


「、」

「あの日から、出逢ったときから、俺に〝今〟を生きる価値をくれたきみだから」

「…っ」

「責任、取ってもらっていーですか」


 もう涙でぐずぐずになった私の向かいで、先輩が、片目からぽろ、と涙を零した彼が、微かに笑う。頰に落ちた私にだけ見せる弱さにそっと唇を寄せると、おしいそっちじゃない、とまた唇が重なる。

 甘くて永遠みたいな奇跡(とき)の中で、僅かに忍んだ一呼吸で先輩が「返事は、」って尋ねるから、私もこつ、と彼の額に身を寄せる。




「—————…好きです私も。
 …世界で一番、あなたのことが大好きです」




 気恥ずかしそうに笑った。

 きみは光だ。足だ。道だ。

 そのどれも、欠けたら前を向いて歩けない。掴むのは眩しすぎて躊躇って恐れた。臆病になって逃げ出したこともあった。でも今では勇気を出して触れた存在が、愛しくて堪らない。

 例えこの先立ちはだかるのが、辛くてやり切れない明日でも。

 あなたがいるなら怖くない。