べす、と繰り出すツッコミも手で軽くいなされる。
 その素っ気ない態度につい呆れたため息をついた。

 目指すは7階、エレベーターはまだ4階を指している。


「ずっと気になってたことがあるんだ」

「…なに?」

「あの日。俺を体育館倉庫に呼び出したとき、なんで鍵をかけてなかった?
 通常倉庫の鍵が外側からってったって、内側から侵入を妨害することだって出来るだろ」

「…忘れてたんだよ」

「数学でもケアレスミスしないお前が?」

 両手をスラックスのポケットに突っ込んだ藤堂が、わざとらしく怪訝(けげん)ぶる。そしてぱっと顔を背ける智也を見切ると、吐息混じりに前を向いた。




「止めて欲しかったんだろ」


 やっぱり、この男には敵わない。

 人の必死を、全てを見透かしてそれでいて飄々(ひょうひょう)としている口ぶりに、今までどれだけの人間が戦意を喪失してきたのだろう。
 きっと自分だけではない。そもそも、「敵」にもなり得ないのかもしれない。この男の前では。敵意も、悪意も、馬鹿馬鹿しい。

 このバカには、ヒトにそう思わせる何かがある。


「…どうすんのお前」

「なにが?」
「…勧善懲悪。

 物語のヒーローは何があっても最後にヒロインと結ばれるって大体相場が決まってるんだ、でも二つは取れないよ。おれたちはいつだって選択を強いられる、ふっ!?」
「お前って結構おしゃべりだったのな」

 喋ってる最中に両頬を片手で鷲掴みにされ、心底感心して頷く藤堂の手をとっさに振り払う。

「っお前! 人が真面目に話してる時に」
「まばたきの裏側」
「………、は?」

「0.1秒の間に物語(ロマン)があるんだよ」

「…意味不明」
「まぁ見てろ」

 ぱちん、と指を鳴らしてひとを指差すなりナイスタイミングで開くエレベーターの扉にも、グルの演出を疑い顎を引く。颯爽(さっそう)と前を行く黒髪を、この背中を、

 もう何度この角度から見ただろう。












 別棟、702号室。

 心の準備が整う前に、二度のノックをして、中からの「どうぞ」の声に藤堂がスッと扉を引く。

 伏せていた顔を、上げた先に。

 今までベッドに横になって、酸素呼吸器を付けて目を閉じていた彼女はいない。ベッドに座り、開いた窓からの風を受け、絹のような明るい茶色の長髪をなびかせる奈緒子が振り向いた。