そして、その夏の日。


「………藤堂と会ったあと、奈緒子がうちに来た」












 ()だるような熱帯夜だった。

 夏の雨も一思いに降りしきればいっそ気温が下がるのに、日中から中途半端に降ったり止んだりを繰り返す雨は、開けた窓から生暖かい風にコンクリートの香りを巻き上げる。
 スマホがバイブしたのは寝苦しさに眉を顰めたときだった。時刻は深夜、12時過ぎ。闇夜にぽっかりと浮かぶ光を見て、自然と通話ボタンを押す。

『…もしもし?』
《‥‥‥外》
『え?』

 その言葉に、一気に飛び起きた。自室から覗いた玄関先にその姿を見て、音を立てずに階段を駆け下りる。

『———奈緒子!? っ…お前、こんな遅くに一人で出歩くな、今何時だと思っ』

 とん、という感覚だった。
 自分の顔を見て至極ほっとしたように解れた表情が、音もなく倒れ込んで胸に額を寄せてくる。

『………もう無理……っ』

 今までに一度も聞いたことのない、悲痛な叫びだった。震えて、上擦って、涙を流して泣き噦る彼女の背にほぼ無意識でそっと手を回し掛けて、きゅっと握り潰す。
 代わりに顔を伏せて静かに彼女を覗き込んだ。


『………じゃあ、このまま二人で逃げようか』









『ねえ、智也どこ行くの?』

 東京都心とあっても深夜1時前ともあれば当然交通機関は全て運行が停止していた。手早く外着に着替えてスマホと財布を持ち、それ以外は何も持たずに閑散とした街を行く。
 眠りに落ちた夜更けの中は時折思い出したように車が通過するだけで、生温い空気を感じて見上げた空に、星は確か見えなかった。

『ここ、ここら辺で一番早い始発のバスが通る駅。今1時過ぎだからそこそこ待つけど、夜明け前には出発出来るよ』
『…』
『…何か、飲み物買ってくる』

 思いつめたようにベンチに腰掛けて俯く彼女に、その時それ以上かける言葉は見つからなかった。何を言っても軽率な気がした。だからその場を離れたのだ。

 ほんのちょっとの隙だった。それは目に付いた自販機に向かう少しの間。

『…智也ごめん、私やっぱり帰る…!』

 ぱっと振り向いた瞬間、先に迫り来るトラックの車体が目に付いた。ヘッドライトが道路に飛び出した彼女を照らし出す。


『——————奈緒子!!』