くすくすと笑いを堪える私とは一足先に立ち上がった彼は、モッズコートの下から覗いた指先でそっと壁の霜焼けをなぞった。
 吐き出した白い息を見上げながら歩くその姿に何か、神秘的な物を憶える。

 そうだな例えば。冬の妖精、白銀の月、


「智也先輩、冬。似合いますね」

「春生まれだけどね。でも、冬の張り詰めた空気は時が止まってるみたいで嫌いじゃないよ」


 静寂の太陽。


「冬を知らないんだ」

「え?」
「おれたち、三人とも。出会ったのが春で、失ったのが夏だった。
 逆ならまだ融通が効いたように思うけど、過ぎたことをどうこう思っても仕方ない。

 毎日毎日、色濃くてあっという間の日々だった。後にも先にも、あの半年間を越える日常はもう無いんじゃないかって思えるくらい」


 楽しかったな、と小さく声は落っこちた。


 追憶にくれる背中はもうずっと哀愁を背負って、手をついて歩いていた彼の掌がふっと壁から離れる。
 辿り着いた体育館は、廊下とはまた一味違った独特の香りがした。いつも体育や朝礼を連想させる気怠げでものぐさなこの匂いを、まだ見ぬ先の未来に懐かしむ日が来るのだろう。

 深く息を吸った智也先輩のつむじの上を、命の証拠が浮遊する。




「…藤堂が奈緒子と別れた直後に、彼女を(さら)った人間がいる」


「!」

「そいつは目の当たりにしていた。奈緒子が事故に遭った瞬間隣にいた。そばに居て救えなかったんだ。
 自分が彼女が事故に遭った直接の要因とわかっておきながら、それでも藤堂に罪をなすりつけて難を逃れた」

「………それ、って…」


 そこではたと、いつの間にか自分が体育館倉庫にいることに気がついた。話に没頭するあまり周りが見えていなかったらしい。

 埃っぽい体操マットや、跳び箱。バスケットボールのカゴが置かれた狭くて窮屈(きゅうくつ)な空間で、見上げた天井の小窓から、薄明かりの中を。埃が音も無く昇っていく。

 違和感を覚えたのは、そこでだった。だっておかしい。智也先輩の話が本当だったとして、だとしたら、


 なんでそれを智也先輩が知ってるんだろう。







 …心臓が嫌な鳴り方をしている。


「な、なんか変なとこ来ちゃってましたね無意識に、出ましょうか、埃っぽ」

 突如ぴしゃん、と扉が目の前を横切った。そろりと視線を上げた先、同じように顔を上げた智也先輩の目と目が合う。

「おれだよ」
「え?」



「あの日、奈緒子を連れ出したのは、おれだよ」