午後1の授業は、現国教師がプリントを職員室に忘れたとかなんとかで結局、ギリギリ間に合った。
 だけど本来は授業がとっくに開始されている時間だ。教室の後ろの扉からざわついている教室に入るのは少し勇気がいって、でも勇気に反してクラスメイトは私のことなんて特に気にもとめていなかった。

 突き飛ばされたとき、扉で打った右半身が地味に痛い。じんじんする体を左手で摩りながら、ゆっくり呼吸を整える。


「ゆず、その腕どうしたの?」

「あ、これー…? うん、えへ、ちょっとね」

「待って、ちょっとじゃなくない!? すごい赤くなってんじゃん」

 急にトーンを上げた女子たちの声の出処は、斜め後ろの席だ。少し顔を傾けて眼球を思い切り右に動かす。目の筋肉が攣りそうな狭間で、取り囲まれる女子生徒の赤い腕が見えた。

「ちょっと…お湯かけられた」

「お湯!? 誰に!」

「…わかんない、廊下歩いてたら突然引っ掛けられたから。でも多分、安斎(あんざい)先輩」

 その言葉が出た瞬間、一瞬教室の空気がシンとした。そしてまたざわざわと騒ぎ出す。


「…………安斎って、藤堂親衛隊の?」

「何それ」

「ちょ、ツカサ知んないの? えーと、3年にイケメンがいるのは知ってるか?」

「そっからかよ。知ってるよ黒髪の背高い優男でしょ」

「その優男が藤堂先輩な。この学校に入ったからには覚えとけ? 一般常識だから」


 総理大臣より重要だから。

 入学して1ヶ月が経ったとは言えど、中にはもちろん情報に(うと)い人間がいるのも無理はない。私より無知がいる、なんてことに若干親近感を抱いても、周りの子達が吹き込んだら明日にも知識は豊富になってるんだろうな、なんて思う。