「……え?」



 病室の扉を出てすぐ、振り向いて目を見張る。聞き間違いかと思い、顔が引き攣って薄ら笑いすら浮かんだ。彼女の目は(どぶ)色だ。


「…人の気も知らないで、それでわたし達に寄り添っているつもり? 冗談じゃない、自己満足もいいところだわ…
 可哀想だなんて建前で哀れんで、心の奥底ではせせら(わら)っているくせに」

「千賀…」
「寄るな人殺しっ…! お前のせいだ、偽善者! 人殺し、人殺し人殺し人殺し!!」
平瀬(ひらせ)さんどうされたんです、落ち着いてくださ」

「お前が全部壊したんだ!! めちゃくちゃにした! 奈緒子を返せ! 返してよ…っ!!」…





 騒ぎを聞きつけた看護師や医師に取り押さえられて、その後千賀子さんは別室に連れて行かれた。

 看病疲れにより、精神的に追い詰められた家族が心身に支障を来すことは一般的にも少なくないんだそうだ。彼女の場合も同様で、軽度の鬱が見つかった千賀子さんはそれから、同じ病院で定期的なカウンセリングを受けるようになった。

 けど、彼女が自分を目の敵にするのには誰もが頷く正当な理由があった。

 自分が奈緒子と事故直前まで傍にいた人間であること、そして恐らく彼女の正常な判断を乱した要因が自分にあること。

 その罪滅ぼしで連日見舞いに来ているという方程式が完成すれば、人が頭ごなしに自分を庇《かば》うことも最早惰性でしか意味を成さなくなっていた。


「律儀ね、毎日毎日」
「奈緒子ちゃんのお母さんも精神科に通ってるんだそうよ」
「可哀想に」

 でもね。


 病院に(おもむ)くたび後ろ指を指されて、千賀子さんには怯えた目で見られるようになった。それでも自分は平気だった。だってもしここで倒れたら、誰が彼女が目覚めたとき笑って迎えてやるんだ。






(………大丈夫)


 平気だ、辛くない、何も怖くなんかない。


 俺はまだ、大丈夫。