「どーぞ」



 コンコン、という二度のノックのあとにそれだけ返しても、扉が開くことはなかった。斜陽差し込む無人の教室で机に腰掛け、窓の外を見てしばらくそうしていたもののあまりに反応がないので扉の方をもう一度見る。


「…どーぞって」


 渋々腰を上げ閉まった扉まで歩み寄ると思いっきり扉を開ける。と同時に頬に気が飛ぶような衝撃があった。


「…………何をやってんですか、あなたは」


 先輩を、()った。

 真っ向から誰かにそんなことをしたのは初めてで、手のひらにじん、とあとから痺れがやって来る。そのまま右を向いていた先輩はえぇ、と少しだけ笑った。


「………いった…出会い頭に打つか普通」

「こうでもしないとまともに掛け合ってくれないですもんね。ちょっとは目が覚めたんじゃないですか」
「なんの話」
「はぐらかさないでください。付き合ってる人がいるのに、こんな」


 強く手を引かれて中に連れ込まれる。その後すぐに階段から遅くまで残っていたらしい二人の女子高生が降りてくる声が聞こえて、その声が遠ざかっていったら机に座った先輩が続けて、みたいな合図をした。


「………最低だ。クズだ。自分も他人も傷つけてる」

「だから言ったじゃーん。俺元々こんな人間だったんだって。変に期待してたのはそっちでしょ」


 それでそんな反応されても、って足をぶらつかせながら伏せる視線は、何も捉えてなかった。…こんな先輩の目、見たことない。何も映してないみたいで、死んでいて。

 私のことすら見ていない。


「………先輩どうしちゃったんですか? なんで? 一ヶ月の間に何があったんですか」

「別に元の生活に戻っただけだよ。きみに会うまではずっとこんな感じだったし」
「…奈緒子《なおこ》さんは?」
「病院にいるんじゃね」

「………そうじゃなくて…先輩、しっかりしてください。私は」

「あのさあ」


 言葉を遮られて鋭い目が私を射る。光のない焦げ茶の瞳が一度足の爪先から頭のてっぺんまでを視認して、それから目を逸らして少し口角を上げた。


「今日ここに来たのってそんな話するためじゃないじゃんね。俺らもうあの日終わったじゃん。他人なんだよ、わかる?」

「…」

「いつまでも自分のこと考えてもらえてるって思ってんなら笑うわ」