「こんにちは」

「こんにちは。小津さん1人?」

「え、いやここにいるでしょ…ってあれ?」


 たった今の今まで目の前にいた存在が忽然(こつぜん)と姿を消していることに言われてわかり、きょろきょろと辺りを見回す。
 そんな私を見ると、彼は腕組みをして軽く首を傾げた。


「…大丈夫?」

「え、いや嘘じゃないんです本当に」


 手で疑ってないことを示すと、彼は曖昧に笑ってベンチを見る。察して隣を空けると、智也先輩はそこに腰掛けた。


「何かあったんですか?」

「いや? おれはただの伝書鳩。言伝(ことづて)を頼まれた」
「…藤堂(とうどう)先輩?」


 顎を引いて問うてみると、先輩は一度私に視線を向けて、また逸らす。


「あいつ、しばらくここに来れないって。
 文化祭の演劇に出ることになったんだ、ロミオとジュリエットのロミオ役」

「え、似合わないです」
「そう? みんな楽しみにしてるよ全身タイツ」
「期待するとこそこですか」


 全身タイツは洒落(しゃれ)として、ロミオの服ってことはあの一国の王子が着るようなちょっと癖のある服のことか。童話の挿絵なんかで何度か目にしたことはあるけれど、え、まじでそれ着んの?

 下半身だけタイツ姿の先輩を想像し、しかしそれ以上は怖くなってふるふると首を振る。


「で、文化祭終わるまで当分は昼休み返上して練習稽古ってわけ」

「そっか…智也先輩は何するんですか?」
「おれは照明」
「劇出ないんだ」
「キャストっていうより誰かにスポット当てる方が性に合ってる。ましてや当てられる側でもないと思うし」

「そうかな。私は智也先輩かっこいいと思うけど」


 極々自然と会話の中で口をついて出た、何気ない一言に後になってギョッとする。
 案の定隣を見ると智也先輩も驚いたように目を見開いていて、うわこれ絶対なんか言い方間違えた!


「ご、ごめんなさい、偉そうなこと、口が出過ぎました」

「ううん。…ちょっと思い出すことがあっただけ」


 膝の上に組んだ手を片方が軽く撫で、何かを(いつく)しむような智也先輩の表情は誰かが時折見せる表情と似ていた。それが藤堂先輩だと気付く手前、彼は組んだ手をパッと解いて横に置く。


「でも心配。小津さんのことひとりじめしたらあいつに嫉妬されるかも」

「…しないでしょ、あのひとは」

「するよ。相当嫉妬深いからねあいつ、顔には出さないけど。特に君のことに関しては」