「みてみてエイにぃ!」

「あんだようっせーな」
「カメムシ!」

 光の速さで椅子から転げ落ちる。ばたばたと壁に寄るのに、そいつは手に携えた緑色のなんか気持ち悪いやつを持って自信ありげだ。

「なんで逃げる?」

「てめぇ! 得体の知れねぇ虫持ってくんなっつったろ! ゴキブリとカブトムシの見分けもつかねーんだから」

「ちっさいのにしたらエイにぃ喜ぶと思ったのに」
「喜ばねえから。早く帰してこいあるべき場所に」
「あっ飛んだ」
「!?」


 あっちへ隠れただ消えただ飛んだだ。

 あいつがくるといつもこうだった。ペースを乱されて、考えることもままならなくて、そのくせ気づいたらべったり人の(ケツ)に引っ付いている。

 くだらないやりとりの中に意義はとても見出せなくて、あの瞬間があったから今の自分がある、とかそういったものには一切成り得ないのに、成長した時思い返せば記憶に浮かぶのは、そういう意味のないものばかりだったりする。


「———でね、あしたね、お父さんとお母さんと、水族館行くんだ!」

「へー。よかったな」

「だからエイにぃも誘いにきた!」

「なんでそこに俺が混じんだよ。家族水入らずの邪魔だろ」

「えーだって…エイにぃいた方がたのしいもん…」

「俺は俺の家族がありますんでお構いなく」

「成美伯母さんだけ? エイにぃのお父さんって、今どこにいるの?」

 カウンター席から離れてカラオケ台のあるソファに座ると、歌う気もないのにデンモクをいじる。

「しらね」

「なんで? エイにぃはお父さんに会いたくないの?」
「別に?」
「探そうよ! 家族がバラバラなんて、寂しいじゃん!」
「あのな。

 あの女、今の若作り具合見てわかる通り若い頃すっげーやんちゃだったの。で。散々遊び呆けた挙句避妊しくじってデキた子どもが俺。わかる?」

「…?」


 わかるように説明してないからわかったら逆に怖いわと履歴を物色する。知らねー演歌ばっかの羅列に客の年齢層を見て、機械の電源を落とした。

「唯一わかんのは相手が当時連んでた男ってだけ、今どこで何をしてるかもわからない。そんなんに今更会いに行ったところで感動の再会とかないからな。大団円とか鳥肌立つわ、それに」