いつかにもこんな経験あったな。目は開いているのに眠っているみたいな感覚。見上げた天井の木目に、立罩(たちこ)める煙は自分の魂なんじゃないかと疑った、———あの日。

(………赤)

 ピントが合わない視界の中、夏の夜の街はネオンが光って綺麗だった。灯りに惹かれる虫のように足が躊躇なく踏み出して、突如横から急接近してくる白い光の数々に、立ち止まる。

 これって、



「—————————オズちゃん!!!」



 突如届いた声と衝撃に、意識が飛んだ。

 曖昧だった世界はその声に輪郭を取り戻し、私が焦がれた光は信号の赤で、無数の光が車のライトだったことに気付く。道路に出た私を自分もろとも薙ぎ倒した誰かは、地面に半身を擦り建物の壁にぶつかって停止した。
 濁った瞳が横目に見る。抱き起こされて、強く抱き締められて、その感覚に覚醒する。

 未だかつてまともに触れたことはなかったひと。
 でも触れたいと初めて切に願ったひと。

 私はこの香りを知っている。





 藤堂先輩。


「…や…やだ、! せんぱ、離しっ」
「嫌だ」
「せんぱ」
「頼むから!!」


 怒号に体が弾み、更に強く抱き寄せられる。


「頼むから…っ、投げやりになるな、何があっても自分を見失うな。

 俺がちゃんと見てるから、ひとりでいなくなったりしないでくれ…っ」


 先輩…声、震えてる。

 そこでようやく私が彼のパーカーに包まれて抱き締められていたことを知って、コンクリートに叩きつけられた先輩の半身が傷だらけになっていることに気付いた。
 震える手が強く、優しく髪を撫でた途端、涙が溢れ出す。肩口に顎を置いて、ぎゅうと先輩の背中を握り締める。


「———先輩、どうしよう、私、私また間違えた…っ」
「、」


「私がエイにぃの人生めちゃくちゃにしたんだ…っ」


—————————
——————
———


 …あの日。枯れた涙と、ぐしゃぐしゃになったシーツ。荒い吐息に紛れて、乱れた前髪の間から見た。


『———お前に…俺の、何がわかるっていうんだ』


 あのとき私の頬に落ちた光は、エイにぃの涙、だったんだ。