まぎれもない。エイにぃだ。

 彼は私に気がつくと、薄ら笑いを浮かべて歩み寄ってくる。待って、何でこっちに来るの。突然青ざめて震えだす私の異変をいち早く察知した先輩もまた私を見下ろしているが、声はくぐもって届かない。

 そうこうしてる間に咥え煙草をしたエイにぃが、私を見てよぉ、と声をあげた。


「何やってんのお前。デート?」


 私を見たあと、エイにぃの目が隣に立った藤堂先輩を上から下まで目で見定める。手持ち無沙汰そうにぶら下がっていた細い腕、その片手が煙草を取り、薄い唇が優雅に煙を吐き出して笑った。

「へー。おまえ結構面食いだね、つかでけえな」

「行こう、先輩」
「…」
「先輩ッ!!」

 やっと口から出た声は、張り上げたせいで上擦った。逃げ出したいという防衛本能が優った結果、先輩のTシャツの裾を握り締めていて。エイにぃを静かに見据えていた先輩もそんな私に少しだけ驚いて、それでも動いてくれる気配はない。
 エイにぃの目が完全に先輩を捕え、そして伸びた手がそっと、彼の体に触れる寸前。

 ワン、と犬が吠えた。


 大型犬だ。コンビニに止めた車の中から黒のラブラドールが顔を出し、人懐っこそうに通りかかる人全員に寄り添っては尻尾を振っている。それを見るなり、エイにぃはさっと手を引っ込めた。そして何事もなかったように、真逆の方向へと歩き出す。

 やがて犬がいなくなり、エイにぃもその場を去った後。先輩がふいに私を覗き込む。

「大丈夫か」

「大丈夫じゃない。動かないんだもん、先輩」
「ごめんごめん。あれ、喧嘩中の従兄弟?」
「………はい」
「なんで急に引いたんだ」
「たぶん、犬がいたからだと思います」
「犬?」

「噛まれたことがあるんです。昔、私のことを(かば)って。それ以来エイにぃ、犬苦手だから」










 怯える私に対して、その日の夜、エイにぃは家に来なくって。代わりに、門扉の音がかしゃん、と小さく音を立てたのは私が自分の部屋でベッドに倒れ込んだ頃。

 開けた窓から入り込む夜の静かな風の中に、エイにぃのギターと歌声は。やっぱり見つけられなかった。