夕方の街角。歩道橋の下、横断歩道を渡る手前の信号で私の耳に届いた、聞き慣れた女性の声。
 一度はまさかな、と反芻(はんすう)し、振り向くと案の定でギョッとする。


「お母さん!?」


 両手にスーパーの袋を引っさげたお母さんは、見るに買い物帰りらしい。彼女は私の隣にすぐさま照準を合わせると、ちょいちょい、と指先だけで手招きをした。見なかったことにしようったってもう遅い。すかさず伸びてきた手に腕を掴まれて、一気に連行されてしまう。


「ちょっと凛花何あれ誰あの超イケメン」

「と、藤堂先輩。学校の知り合…てか離して腕痛い」
「先輩だぁ〜? ん、待ってお母さんあの子どっかで見たことあるような…」

 ぽくぽくぽく、と指先で額を小突いてから閃いた様子でピーンと目を光らせるお母さん。そして振り向くとすかさず先輩に駆け寄った。

「ぁあ———っ! 思い出したあなた! 在校生代表挨拶のイケメンくん!」

「えっ」
「入学式のとき見たことある!! すっっっごい顔面綺麗なイケメンくん!!」
「…やったんですか?」
「あ、あー…そういや生徒会長が腹下して臨時要員で駆り出されたような気が」


 賛同を求める母はさて置いて尋ねると、先輩は顎に手を添え曖昧な返答だ。在校生挨拶とか割と一大行事に臨時要員で駆り出されて本人はうろ覚えなのに保護者には一目置かれてるって、この男の存在感たるや最早一体何なのだ。

 とか思ってるそばから容赦なくお母さんが先輩の頬に手を添えて、私は猫のように飛び上がる。


「お母さん方の間でも二枚目って評判だったのよー!? うちの凛花がいつもお世話になっております〜っていうかいい男ね〜おばさんもあと20若かったら良かったのに♡」

「お母さんっ!!」


 今世紀最大の悲鳴混じりのツッコミにお母さんは「邪魔したわね今夜はすき焼きよ♡」とか言いながら、何度も何度も振り返って先輩に手を振りながら去って行く。

 だめだ今ので結構な体力削られた。パンチ効きすぎとか絶対そんなこと思われた! 身内を知られたショックでどんより落胆していると、笑顔でお母さんを見送っていた先輩が、

 遠くを見たままはっきりと告げる。


「いくか」


「…え、どこに?」

「夏祭り」

「…誰と?」

「俺と」


 ぽかんとする私に、振り向いたその瞳は真っ直ぐで。私がそれを理解するが早いか先輩は夕陽を背負って、やがて暮れていく空の下。

 やさしく、ゆったりと口ずさんだ。



「いくか、ふたりで。夏祭り」