私が小学三年生の頃、同じクラスにいじめられっ子がいた。

『返してっ、ねぇ返してよぉ!』

『ははダッサ、こいつ鼻水めっちゃ垂らしてんだけど』

『きったねー』

『取れるもんなら取ってみろよ、天の河(・・・)!』


 天野(あまの)大河《たいが》、───天の河。


 その頃平均的な男子よりも女子よりも小柄で、華奢でへなちょこだった天の河がクラスでもやんちゃをしていたガキ大将の蔵馬に目をつけられたのも三年になってからすぐの話で、理由は確か、お腹を壊して授業中に泣きながら中座した、とかその程度だった気がする。

 誰にも直面し得るし、たぶん理由なんて何だってよかったんだと思う。からかう言い訳を見つけて、嬉々として標的を定めた男子一部にやめなよ、って口では言いつつ、みんな逆らえなかった。

 ガキ大将の蔵馬に逆らったら自分たちが標的にされてしまう。

 子どもながらに、そういう理解だけは一端に身についていたからだ。


『取れるもんなら取ってみ…うわっ!?』


 若干一名を除いて。

 十回同じ漢字を書く宿題の、その一つの文字を机を揺らされたことでびっ、と破けたことに、私は激情していた。だから、蹴った。というか、蔵馬の足を引っ掛けた。

 バランスを崩して背中から教卓に突っ込み派手な音を立てて倒れた蔵馬に、教室が騒然とする。どうでもいい。こっちはノートを破られた方が一大事だ。
 一瞥をくれてふんと鼻を鳴らすと、先生の机の後ろにあるセロテープを取りにいく。


『てんめぇ凛花っ! こいつのことかばうのかよ!』

『別にかばってないし。お前のせいでノート破れたんだよ死ね』

『死っ…』


 人のせいにするのもどうかと思うけれど、物心ついた時から教育に悪い従兄弟に懐いていた影響で、私の口の悪さはその頃には完全に仕上がっていた。感化された、と言っても過言ではない。もちろん女の子たちと話すときはそれなりに気をつけてはいた、でも今は別だ。


『はっ…はは! なぁ! お前ら実はデキてんだろ! だから天の河は女みてーで、凛花はオトコ女なんだよな! 他の女子みたいに女っぽくねーし、全然可愛くねーもん!』

『は、しょーもな』

『てめぇ待てよ!』

『男だからとか女だからとかバッカみたい。そんなことに(とら)われて自分らしくなくなるんなら、私男って言われてもいいよ』


 思えばその頃が、私の全盛期だった気がする。怖いものはなかった。自分が正しいと、信じてやまなかった。カッコいいことをしている、そんな自覚さえなかったけど。


『ほっぺた傷できてるね。いこ、天の河』


 へなちょこだったいじめられっ子に、ヒーローと刷り込ませるのには十分だった、みたいで。