「ありがとう、生まれてきてくれて」

「…それ、親の台詞だし」

「あ、やっぱり?」

 でも。



「…うれしい…っ…」



 超巨大黒猫さんをぎゅうっと抱き締めて、思わず心からの笑みが溢れる。そしたら一瞬す、と私のほうに伸びてきた先輩の右手が、

─────────ばちぃん、とすかさず左手によって制された。


「…どうしました」

「いや…蚊がね、蚊がいたんだよ」

「そんな時期か。やだなあ」

 だいじょぶですか、って聞くのに先輩はうんって言うだけでそっぽを向いたまま振り向かない。なんだよ。わかってたけど変なひと。

 構わず私が黒猫さんを抱きしめたままその可愛さに癒されてすりすり頬擦りしていると、外ではぽつ、ぽつ…という小さな音がして、そのうちさあっと細い雨が降り出した。


「あ…降ってきちゃいましたね、雨」

「夕方から本降りっつってたもんなー」


 昇降口の屋根の下から二人で空を見上げると、私は黒猫さんを抱き抱え、1年の傘立てから今日母に言われて持ってきた傘を引っこ抜く。かさばりたくないから折りたたみにしようと渋ったが、この雨の具合からするとお母さんの言うこと聞いといて良かった。


「あれ? 先輩、傘ないんですか」

「いや持ってきてたんだけど、ビニ傘だったし多分パクられたっぽいね」

 少し待ったらマシになるだろ、と空を見上げる先輩は、その口ぶりからするにここで雨宿りをするつもりらしい。私は横で傘を開き、そっと会釈をする。


「…あの…じゃ、私。お先に」

「おん。気をつけてね」

「プレゼント、ありがとうございました」

「あいよー」


 今日先輩に頭を下げるのは何度目だというくらい、またしてもぺこりと頭を下げて。それから雨の中を、傘を射して、黒猫さんを抱きしめたまま前進する。一歩、また一歩。

 ざく、ざく、とローファーでコンクリートを踏み締めて。


(…これで終わりか)

(このまま)



 あのひとを、1人残して?



「………」


 雨の匂いを大きく吸い込んで10歩ほど歩いた時、私はその場で立ち止まった。それから振り返り、ざくざくと来た道を戻る。

 そしてめちゃくちゃぶっきらぼうに、自分の傘を先輩目掛けて突き出した。