日曜日。羽野が言うところの初デート当日だ。

 さすがに会社に行くような恰好で出かけるわけにはいかないので、自宅から持ってきた服の中から少し光沢のある生地のグレーのドルマンのプルオーバーと、モノトーンのグレンチェックののセミワイドパンツを合わせた。

 靴もシンプルな黒のローヒールパンプス。一番マシに見えるものを選んだつもりだが、どうしても地味目のコーディネートになってしまう。

 対して羽野はホワイトのVカットソーにグレーのショールカラーカーディガンを羽織り、ブラックのスキニーパンツをを合わせた休日スタイルだ。シンプルだがとてもよく似合っている。
 顔もスタイルも良い人がセンスの良い服を着るとこうなるのか。思わず見とれてしまった。
 我に返った後、ふたりが絶妙にモノトーンのコーディネイトで合ってしまっている事に気づいたのだが、言うと気恥ずかしくなりそうなので黙っていた。

 しかし、今からもっと恥ずかしいことを言わなければならない。

(よし…言うぞ)

 雫は緊張していた。

「さ、いこうか」と上機嫌で車のキーを持った彼の背中に雫は声を掛ける。

「今日はよろしくお願いします……そ、奏汰さん」

「え」

 カシャンとキーの落ちる音がした。

 彼にしては珍しく慌てた様子でキーを拾い上げるのを尻目に続ける。

「あの、考えたんです。婚約者のフリをする、という当事者意識が足りなかったって。成果が出せないまま時間だけが過ぎてしまうのは良くないと。これからは、ひとつひとつ課題をクリアして、社長へのプレゼンに向けて努力しようと思います。まずは、はの……そ、奏汰さんが言っていたお名前を呼ぶことから初めてみようと思いました。今後、必要な課題を言って頂ければ、対応するようにします」

 彼に指摘されてからずっと考えていたのだ。この同居の最終目標は社長へのプレゼンだ。ある意味職務と割り切ってプロセスを踏んだ方が効率的だろう。実の所、何をしたらいいかはよくわからないが、それは『指導担当者』である奏汰に聞いて正しく行えばよい。

「……なんか、今、ものすごく嬉しい気持ちと切ない気持ちが同時に沸き起こってる」

 奏汰は形の良い眉を下げて泣き笑いのような表情をしたが、すぐに気を取り直したのか

「んー、ま、いいか。それなら俺も成果を出せるように頑張るだけだから」

 と呟いた。

 どうやら、やる気が伝わったようだ。雫はホッとした。



 ドライブがてらやって来たのは郊外の大型ショッピングモールだ。

 駐車場に車を止め、並んで建物内へと入る。

 ファッションから雑貨まで様々なショップが並んでいる。ここなら何でも必要なものが揃いそうだ。顔には出ていないかもしれないが、久しぶりのショッピングに心が弾む。

 館内は日曜とあってかなりの人出だ。人にぶつからないように奏汰の横を歩く。するとスッと雫の手が取られる。

「えっ」

「はぐれるといけないから」

 キュッと握られた手のひらに骨ばった大きい手の感触を感じ、動悸が止まらなくなりそうだ。

(恥ずかしい……でも婚約者なら手くらい繋ぐよね)

 雫は遠慮がちに手を握り返す。

 奏汰は雫を見やると満足そうに笑った。


 奏汰が服が見たいというのでファッションエリアに向かった。あるセレクトショップの前で彼の足が止まる。
 男女共、センスの良いものが並ぶ有名なショップだ。
 ショーウィンドウには春物のパステルカラーのレディース服がディスプレイされている。

 それをじっと見つめていた奏汰は隣の雫に視線を移す。

「しーちゃん、こういう色って着たの見た事無いけど、好きじゃない?」

「あ……あまり着たことは無いです」

 ライラック色のワンピースやピンク色のふんわりしたスカート。
 こういう春色の服はかわいらしいとは思うが、自分で着ようと思わない。自分には甘すぎて似合わないと思っている。

「絶対似合うと思うんだけど。ほら、前着てたパジャマも可愛かったし」

――アレは忘れて欲しかった。

 言葉につまる雫の手を引いて奏汰は店に入るなり、女性の店員に声を掛ける。

「そこにディスプレイしてある服、試着したいんですが、あと、彼女に何着か見立ててもらえますか?」

 店員は規格外のイケメンに一瞬見とれたものの、さすがプロだ。すぐに仕事人の顔になり、
雫に「どういうものがお好みですか?」など話しかけながら次々とコーディネートをしてくる。

「え、羽野さんの服を見るんじゃなかったんですか?」

「あ、これなんか良いね」

 慌てて名前を呼ぶのを忘れてしまっている雫をサラリと流しながら奏汰は楽しそうに服を選んでいる。

 訳の分からない内に奏汰と店員二人に次々にコーディネートされ、試着する。
 どれも普段雫が選ばないような可愛らしいものだ。

「お客様はお肌が白くて、華奢でいらっしゃるので、ウエストラインが程よく出てスカートが広がっているこのような形がお似合いかと思います」

 最後に店員が勧めてきたのはアイスブルーのワンピースで、ウエストが共布のリボンで結べる作りになっている。襟ぐりに控えめなレースがあしらわれていて、可愛いながら上品だ。

「合わせ方によってはカジュアルにもお使い頂けます。今の季節ですとデニムジャケットを羽織ると合いますよ」

 試着室から出てきた雫を見て奏汰は眩しそうに目を細めた。

「うん。とってもいい」

 確かに程よく体にフィットしているのでスタイルが良く見えるし、顔色も明るく映え、自分自身がオシャレになったような錯覚を覚える。
 ただ、試着の時に値札を見てしまったのだが、物が良いのでそれなりにお値段が張るのだ。

 色々なブランドが並ぶセレクトショップで、よりお高い方をセレクトされてしまったようだ。

「これ、このまま着ていこう」

「え、それはやめておきます」

「気に入らない?」

「いえ、素敵だとは思いますが」

「なら、今日はこれ着てデートしよう……合わせて靴も揃えてもらえますか」

 気が付くと、全身コーディネートされてしまっていた。
 いつのまにか支払いもされていたので慌ててお金は後で払うと言おうとしたが、「これは必要経費。親父に会うときに着てってくれればいい」と先手を打たれてしまった。

(確かに今日の私の格好はいつもより頑張ったけど地味だったし、そんなので隣に並ばれるの嫌だったのかな。だから着替えさせたかったとか)

 ネガティブ思考が発動し、こっそり落ち込んでしまう。

「今日の格好も可愛いかったし、俺とのペアルックっぽくて嬉しかったんだけどね。あまりにもこのワンピースが似合ってたから、ずっと見ていたいと思っちゃって」

「……!」

 そんな甘い言葉を甘い顔で言わないで欲しい。いくら婚約者の演技とはいえ、どう反応していいかわからなくなる。

 とは言え女心は単純だ。素敵な服を着るとなぜか背筋がまっすぐになり気持ちが高揚する。

(こんな感覚、久しぶりな気がする。さすがに会社には着ていけないけど、たまにこういう格好をするのも良いかもしれない)

――この時雫は知らなかったのだが、試着した服は翌日すべてマンションに配送され、奏汰の手際の良さに驚くことになる。



 ランチをモール内のレストランで取り、インテリアショップで北欧風のサラダボイルと大き目の平皿、フォークを選ぶ。

 あれこれ言いながらふたりで選んでいると婚約者を超えて完全に新婚夫婦だ。

 店内でも奏汰の容姿は目を引くようで、時折女性からの熱視線がそそがれていた。

 しかし、奏汰は気づいていないのか、日常の事なのか全く気にすることなく自然な様子で雫をエスコートする。時折頭一つ上から見つめてくる鳶色の瞳はとてもやさしい。

 本当に愛しい相手に送る眼差しのようだ。雫はいちいち胸が締め付けれらるような気恥ずかしさを感じる。

(奏汰さん、この演技力があれば、お父さんを誤魔化すなんて簡単に出来るんじゃないかな……)

「あ、サボテン」

 店の中には植物のコーナーがあった。観葉植物や多肉植物が並んでいて、サボテンもある。
 サボ丸を育て初めてから、サボテンがあるとつい気になって色々見てしまう。

 たくさんの種類の中で雫の目を引いたがものがあった。小さな鉢に入ったウチワサボテンでウサギの耳のように本体から新芽が2本伸びている。

「これ、カワイイです」

「サボ丸と違って平べったい形なんだね。へぇ。こうやってみるとホントにいろんな形があるんだな」

 いつの間にか、雫のサボ丸を普通に名前で呼ぶようになっていた奏汰が興味深げに見ている。

「大きさも形もそれぞれ違って面白いですよね。同じ品種でも育ち方で雰囲気も全然違うし」

「これ買って帰ろうか。サボ丸の横に置いたらいいよ」

「良いんですか?」

「もちろん。ねぇ、これには何て名前付けるの?」

「そうですね。このコだったら、形的に……そうだ!」

「「サボ平!」」

 ふたり同時に同じ言葉を発する。お互い驚いたように顔を見合わせた後、声を出して笑ってしまう。

「なんで、わかったんですか?」

「だって、サボ丸は丸いからサボ丸でしょ。だから、平べったいからサボ平って思うかなって」

 拳を口元にあて、クックと笑いをかみ殺しつつ奏汰が言う。

「すみませんね。単純で」

 つい素になって拗ねた言い方をしつつ、雫も笑ってしまう。

 笑い合いながら、雫は切ないくらい気持ちが暖かくなる感覚を覚えていた。