〝先生に、私の身体をあげます。手術でも解剖でも、先生の練習用として使ってください〟


 たとえ手紙だとしてもあんなこと書かないだろう、普通は。でも、そのめちゃくちゃなひとこととあの子の存在が、俺にとっては鬱々とした気持ちを吹っ切るきっかけになったのだ。

 悩みを打ち明けてひとしきり泣いたあと、『ありがとうございます、先生』と言った彼女の瞳は雨上がりの空のごとく澄んでいて、生きる希望を取り戻したように見えた。

 俺も少しは役に立てただろうか。いつか、手術でも人を救いたい。患者にもその家族にも、医者として生きる希望を与えたい──。


 気持ちを一新させ、その後はひたすら勉強とイメトレを繰り返し、覚悟を決めて手術にも携わった。

 一度拍動をやめて冷たくなった心臓が、再び動き始める瞬間を初めて目の当たりにしたときの感動は一生忘れないだろう。

 無我夢中で経験を積んできた十年の間に、術中にドラマティックな展開に出会うこともあれば、自己嫌悪に陥るケースもあった。

 そのたび頭に蘇るのは幼さが残る伊吹の姿で、不思議と色褪せはしなかった。

 大人になった彼女と再会し、俺の恋愛感情の芽はこのときを待っていたかのごとく一気に成長したのだ。まさに〝いぶき〟を吹き込まれたのかもしれない。