その時だけ時間が止まったようだった。

私の指先は、確かにナガトの手に届き、ナガトがその瞬間を横目で見た。


掴んだはずで、そこにあるはずの温もりは、半透明になってすり抜けていたのだ。




「やめろ!!」


ナガトは私の手を振り払う。だが、私の手には当たらない。叩かれる痛みもない。伸ばした場所から動くこともなかった。


「な……ナガト……」

ナガトは恐怖の表情を身に纏い、走った訳でもないのに大きく肩を揺らして息を切らしていた。

地面に視線を向けるナガトは、もっと地下深い別の場所を見ているよう。


「やめろ……やめろやめろ!! 違う! 俺は死んでない! 生きてるんだ、ずっとこうやって人として人生を歩んでいる最中なんだよ!!」


誰に話しているのか、わからなかった。取り乱したナガトは、自分に言い聞かせるように指を立てた手で頭を抱え込む。

「ナガト、大丈夫……」

「やめてくれ、やめてくれよ! 一番見つけたくなかったものを見つけて、探していたものを何も見つけられなかった! 俺は……俺は生きてるんだよ……!!」

まなみさんの話とナガトの心の悲鳴が、私の中で細い糸で繋がる。ナガトの叫びは、世界を歪ませるほど強い引力を持っているように感じた。

「ナガトが探してたまなみさんは……見つけられたでしょ?」

怖かった。私だって、まだ現実を受け入れることができていない。

目の前に広がる光景は、私の知るナガトではなく、燃え盛る地獄の釜の中で、助けを求める死者そのものだった。


「まなみ? 俺がまなみを探していただって? 違うね。まなみ本人を探していたんじゃない」

私を睨むように笑う彼は、私が朝見た鏡の前の自分のようだった。

「どういうこと? まなみさんを探していたって……」

「俺の探し物は〝生きている証拠〟だ」

その言葉にハッとした。トンカチで頭を殴られたような衝動に駆られる。

ナガトの見つめる先は、自身の手のひらだった。

私が、ナガトの探し物を壊したのだ。

ナガトは死んでいると、すり抜けた手が証明してしまった。

だから彼は、こんなにも取り乱してしまったのだ。

「まなみに会えば……今も変わらず生活している姿を見れば、俺が生きていることを証明できた。
なのに……まなみの時間は進んでいて、知らない男と結ばれて、子供が出来て、育っていって……」

それを見たくなかったから、まなみさんのお腹の膨らみを見た一瞬で判断し、その場を立ち去ったと。

死んでいる証は見なければいい。信じなければ自分は生きているのだと、彼は言った。

そうだ。初めからナガトはそうだったじゃないか。

子供を助けなかったんじゃない。助けられなかった。

触れることで、自分が死んだということを認めてしまうことになる。そもそも触れること自体が出来ないのだから、助けられるはずもない。

それに、私が『今日死ぬから』と話した時、周りの視線が集中しているように感じたのは、周囲の人が話の内容を聞き取ったわけではなく、姿の見えないナガトに向かって一人で話す、私に驚いていたのだ。


食事をしないのもそうだ。触れられないから食べられない。お腹がすいていないというのは事実か、定かではないが結論は同じだ。


「でもまなみさん、ナガトのことをずっと探してたよ。今もずっと、苦しんでる」

「……え?」

ナガトの壊れた心臓も、まなみさんの引きずる過去も、私が結んであげなければならない。


それが私の、最期の使命なのかもしれないと、心のどこかで悟った。