「……先程の平手打ちされたところは大丈夫ですか?」
「見られてましたか。感情の起伏が激しいのが彼女の良いところであり悪いところでもあるんですけど」

 草瀬さんはポツポツと話し出す。
 にこにこ整骨院は土曜も夕方まで営業していること。それで、彼女と会う時間が少なく、彼女に浮気をされたこと。別れ話を切り出したら、平手打ちをくらったこと。

 草瀬さんの声は少し高めのテナーで、耳に心地よいと思った。

「彼女さんは別れたくはなかったのかもしれませんね」
「そうかもしれませんね。でも、僕は浮気をされた段階でちょっと続けていく自信がなくて」
「分かります。私も二股されたら、自分が降りる方かもです」
「なかなかうまく行かないもんですね」
「ですね。私なんて、もう22歳の時から彼がいないので、もう6年独り身ですよー」
「そうなんですか?」
「まあ、不自由はしてませんが、寂しいです」

 私がカシスオレンジを飲みながらかすかに笑うと、草瀬さんは複雑な顔をした。
 私たちはしばらく黙って酒を飲み、つまみを食べた。

「桜も綺麗ですが、月も綺麗ですね」
 私は草瀬さんに言われて、月を仰いだ。
「本当ですね」
「なんか、こういうのもいいですね。ほっとできるというか」
「そうでしょう? 私は夜桜を見ていると、昼の疲れが癒されるので好きなんです」

 私たちは顔を見合わせて笑った。

 初めて会ったばかりだというのに、桜と酒の力なのか、私と草瀬さんは随分と打ち解け、色々な話をした。

「もう、23時ですね。早いなあ」
「じゃあ、そろそろお開きにしましょうか」

 私の言葉に草瀬さんは、「そうですね」と頷いてから、「あの……」と切り出した。

「はい?」
「彼女に振られたばかりでこんなことを言うのは軽い男だと思われるかもしれませんが、僕は今日の時間、とても楽しかったです。それで、もし、来年の桜が咲く頃、またここで会えたら僕と付き合って頂けませんか?」
「え?」
「いつ桜が咲くかはわからないので、時間だけでも21時に決めてもいいですか?僕と付き合ってもいいと思えたら来て欲しいんです」
「えっと……」

 私は少し考えて、

「分かりました」

 と返事をしていた。

「整骨院には行ってもいいですか?」
「もちろん! でも個人的な連絡先などは付き合いだしてから交換ということにしましょう」
「分かりました」
「じゃあ、また会えると信じて」
「はい。じゃあまた」

 我ながら不思議な約束をしたものだ。でも、私も草瀬さんとの時間は楽しいものだったので終わりにしたくなかったのかもしれない。