材料を保管する大きな冷蔵庫もある。貴族との商売で、プリンとチャワンムシに関してだけ言えば、セボンとパンファセの力を借りなくても完璧に作れるようになったのだ。
セボンも近所に住んでいるし、コッコもいる。
今からどれだけ忙しくなっても、きっと乗り越えることができる――。
そう考えていたのが、二週間前のことである。
シーナは閑古鳥の棲みついた〝三羽の風見鶏店〟のテーブルにだらしなく突っ伏し、今日も開かないとさか色の扉を見つめた。
二週間である。
まあまあの期間だ。社交界ではそれこそプリンからチャワンムシブームが訪れ、そちらの収入もまあまあなものである。
が、街のシーナの新拠点〝三羽の風見鶏店〟は、恐ろしく静かで静かで静かすぎた。
頭の上で眠るコッコを起こさないように、シーナは頬杖をついて溜め息を吐いた。
(客が来ない――)
何度そうぼやいただろうか。
ショーケースに並べていたプリンが売れることはなく、数日前から並べることをやめた。
セボンが作って商品として置いて行ってくれたクッキーも、だめになる前に自分で食べてしまった。
(貴族の小娘が出した店だからと敬遠されているのはわかるけど、ここまで客が来ないとは。みんな興味深そうに覗いていくのに入ってこないってことは、値段がべらぼうに高いと思われてるのかな)
値段設定にもおかしなところはない。貴族に提供するときとは少しランクを下げた卵と牛乳を使い、庶民にも手が出しやすい値段にしてある。これは、セボンとパンファセに確認済みなので、間違いはないはずだ。
(食べてもらえれば、プリンがどれだけ美味しいお菓子かわかってもらえるのに)
それが悔しかった。このプリンを食べてもらえたら、人々はきっとちょっとだけ幸せになれるような気がするのに。
それは幸福の押し売りだろうか。
でも、シーナはこの国が好きだ。この国の人々が好きなのだ。
そんな人々に、味わったのことない美味しいお菓子を提供して、ほんの少しの幸せを感じてほしいだけなのである。
(さて、どう動こう、シーナ)
冷蔵庫にはそろそろ使い切らなくてはならない材料が残っている。
ならばやることはひとつだ――。
勢いよく立ち上がったシーナに、頭上で寝息を立てていたコッコの鼻提灯がぱちんと割れた。
「なにしてるの」
セボンが手にサンドイッチをもって厨房に入ってきた。
店のドアには鈴が掛けてあるはずだが、鳴っても気付かないほど集中していたらしい。
音にこだわって探しに探した鈴も、これではあまり意味がない。
「プリンを作ってるのよ」
シーナは乳液を型に流し込みながら簡潔に答えた。
「売れないのに?」
セボンは意地が悪い。
その美しい顔で可愛らしく首を傾げるから、いちいち噛みつく気すら起こさせないのだから、ずるい男である。
「これから売れるわ」
シーナはしれっと答えると、セボンが来る前に港へと貰いに走ったたくさんの貝の殻を並べた。
全て二枚貝で、中身はもう食べつくされた後のものだ。すべてきれいに洗って、合わせ部分を切り離してばらばらにしてある。日本での豆皿くらいの大きさで、今からシーナがやろうとしていることにぴったりのサイズ感である。すべて綺麗に洗って、日光に当てて消毒済みだ。今日が快晴でよかった。
「貝?新しいお菓子でも思いついたの?」
気の作業台に並べられていく貝を、セボンは興味深そうに眺めた。
「試食してもらうの」
その貝に、蒸して冷やしたプリンを大人二口分の大きさで盛っていく。
「試食?」
不思議そうな顔のセボンに、シーナはにっこりと笑いかけた。
「新しい菓子屋の噂を聞いたか?」
「ああ、あの貴族の娘の道楽で開いた店だろう?一体どれほど高級なのかと皆怖がって行かないらしいな」
「その店が今、無料で菓子を配っているらしいぞ」
「なんだ、客が来なくてとうとうやけでも起こしたのか」
「それがな、試食だっつって、自分とこの目玉商品を貝に乗せて配っているらしい」
「うちのかみさんと子供も、ただなら食ってみようって行っちまったよ」
〝三羽の風見鶏亭〟が始めた試食の噂は、あっという間に街に広がった。
店の前にテーブルを出し、そこで貝に持ったプリンを並べた。今は寒い時期でよかった。天気はいいが気温は低いので、日除けの陰に置いておけば傷むこともない。
「いらっしゃい、いらっしゃい!三羽の風見鶏亭の美味しいプリンだよー!今なら試食もできるよ!みんなおいでー!」
テーブルの横で大きく息を吸ったシーナは、椎奈の頃鍛えた大きな声で呼び込みを始めた。
椎奈はコンビニで働いていたので、こういう接客はちょっと得意である。
ファミ〇キが安いときはそれこそ、ファミ〇キ安いですよーと店の中で呼び掛けていたものである。
セボンはとりあえず隣に立たせてみた。女性客を狙った広告塔である。
ちなみにコッコはセボンの肩に乗ってぐるぐると喉を鳴らしている。これは子供達を呼び寄せるマスコットである。
「タダ?」
一番最初のお客様は、二つ結びをしておでこを全開にした小さな女の子だ。
鼻頭にうっすらそばかすのある、可愛い女の子である。
「タダだよ、量は少ないけど。食べていく?」
「ママがいいよっていったら」
「おっ、偉いな。そうだね、ママに聞いておいで」
そのママとやらは、遠巻きにこちらを見ている大人しそうな女性だ。エプロンをつけた線の薄い美人である。そんなママのもとへと駆け戻った女の子が大きな声でお菓子を食べていいか尋ねると、彼女はこちらを伺うように見てきた。
不安そうな顔である。得体のしれない貴族の女が作ったお菓子を我が子に食べさせていいものかという不安だろうか。
シーナは思い切って、〝大丈夫〟という意味で大きな手で丸を作った。
それを見た女性は吹き出して、優しい顔で子供に一言二言かける。
シーナの背後でセボンが肩を震わせる気配がしたが、それは今は触れまい。
「ママがありがとうって!」
頬っぺたを真っ赤にして駆けてきた少女が満面の笑みを浮かべている。
それに嬉しくなって、シーナはプリンが乗った貝をふたつ、少女に手渡した。
「あなたとママに。とっても美味しいよ」
「ありがとう!」
少女の満面の笑みを真正面から浴びたシーナも釣られて、満面の笑みを浮かべる。
それを遠巻きに見ていたやんちゃそうな子供たちが、わっと押し寄せた。無害そうだと判断したらしい。
「アンジーばっかりずるいよ!」
「俺も!俺も食べたい!」
元気が有り余っている少年たちがぎゃあぎゃあと騒ぐ声に、なんだなんだと気にしていた大人達が集まってくる。
「これはなんだね?どろどろとした肌色のスライムか?」
「お金取らないの?味見?いいの?」
「このどろどろは試食?本当の姿はこっちの瓶詰め?」
そう、店に並べるにあたり、プリンの容器はスワロフスキーのような高級硝子ではなく、牛乳などの小分けにつかう小さな小瓶にした。入り口が狭いので改善の余地はあるが、これはのちのち街のガラス職人に相談を持ち掛けようと思っている。
「うわあ……、甘くておいしい」
アンジーと呼ばれた初めての小さなお客様が、感動したように声を上げた。
試食にひとつひとつスプーンをつけるわけにはいかなかったので、そのまま貝に口をつけて啜ってもらうスタイルである。お行儀は悪いが、プリンを身近に感じてもらうためには試食の数は多いければ多いほどいい。
アンジーの言葉に、集まっていた子供達も、大人たちも手元の肌色スライムに口をつけた。
「……なんて甘くて美味しいのかしら」
「初めて食べる味だ」
「肌色のスライム美味しい!」
「この茶色のソースにいい苦みがあって、この甘い肌色とぷるぷると最高の組み合わせだ」
それぞれ口から飛び出した感想に、シーナはにっこりと微笑んだ。
「氷室で冷やすともっと美味しいんですよ。お値段だって良心的!よかったら、あなたの大切な人にいかがです?ちなみにこのお菓子、プリンっていいます!!」
その日、〝三羽の風見鶏亭〟では、用意したプリンがすべて完売するほどの盛況ぶりを見せた。
シーナがもたらす、アルトリア史上始まって以来の食の革命の始まりである――。
というのは大袈裟だが、アルトリアの城下町にシーナが馴染むいい機会だったのは間違いない。
あの日から、シーナの店にはぽつぽつとではあるが、客が訪れるようになった。
店の裏に住む甘いもの好きの大工さん、学校帰りの子供達、朝市に訪れてお茶をしていく奥様達。
売り上げとしては微々たるものだが、爆発的な売り上げなどはいらない。
今のところは貴族から搾り取ったプリンの売り上げもあるので焦ることはないのである。
(今はただゆっくりと時間を掛けて、この街に馴染もう)
それが、椎奈としての記憶を持つ、シーナの目標である。
「シーナさん、プリンをください!」
そしてそんなスローモードの〝三羽の風見鶏亭〟の一番の常連は、この小さなお客様である。
「アンジー、また来たの?今日はちゃんとママからお許しもらってきたのかな?」
試食をした数日前、一番にシーナに声をかけてくれたあのおでこ全開の女の子・アンジーである。
あれ以来、大層プリンが気に入った彼女は、三日と開けずとさか色の扉を開けて、ぷりんをくださいと訪ねてきてくれるのである。
「今日はちゃんともらってきたよ」
そういうアンジーの小さな手には、この大陸で流通している硬貨が六枚握られていた。
シーナのプリンは、この硬貨二枚分である。
高級品というほどの値段ではないが、安価というほどの値段ではない。
コンビニでたまに発売される、例えばセ〇ンプレミアムというようなちょっとお高めのとっても美味しいスウィーツの値段設定である。
「今日は三個?ママとアンジーと、パパの分かな?」
カウンターから身を乗り出して掌を覗き込んだシーナは笑った。
実はアンジーのママも、だいぶこのプリンがお気に入りだと知っている。
「ううん、今日はね、ママが働いてる孤児院のシスター達にプレゼントするの」
アンジーの母親は、この街の孤児院出身なのだそうだ。アンジーを産んですぐに夫を亡くし、一人で生計を立てるために幼いころ自分も世話になったそこで働いているという。
ちなみにこの孤児院の歴史は古いが、今までは設備も資金も不十分だった。それが最近は王太子妃ルイの肝入りの政策として、十分な資金が回されるようになったらしい。
古びたベッドやシーツは新品に変えられ、孤児達にも十分な教育が施されるようになった。ある程度大きくなった子供たちは港の漁夫や貿易商、職人たちのもとで見習いとして働き、賃金を得ながら身を立てるための経験と技を身に付ける制度も、ここ最近やっと定着して軌道に乗ってきたと聞く。
「アンジーはね、ママにおつかいを頼まれたのよ!」
えっへんと胸を張る小さな女の子の愛らしさとは恐ろしいものがある。
(リアルはじめてのおつかいだわ……)
ちなみに孤児院は、この店が建つ大通りから路地を二つほど入った距離にある。
「孤児院にはね、やさしいおねえちゃんとおにいちゃんがたくさんいるんだから!」
アンジーも母親の仕事について回っているため、孤児院の面々に可愛がってもらっているらしい。
シーナはアンジーの手から硬貨を受け取ると、ショーケースに氷と共に保存してあるプリンを三つ包んだ。それと、また作ってもらったセボンのクッキーを大量に詰める。
時計を見れば、もうすぐ昼である。この時間は、皆が昼食を食べるため店に客が来ること
は少ない。
「アンジー、私も一緒に行っていいかなぁ」
シーナはドアにクローズの看板を下げながら、はじめてのおつかい中の少女を振り返った。
アルトリアは霊峰ネージに抱かれる国である。
街の南側は湾になっており、大規模な漁港が今日も様々な国からの船を受け入れている。
北側にはネージがそびえたち、海と峰に囲まれた真ん中でアルトリアは栄えていた。


