更にはそのロンダム殿下についてよく城下に下りていた幼馴染であるアルトリア王国きっての大貴族のご令嬢ルイ様は、そのふくよかで愛らしい姿もさることながら、滲み出る性格の良さで当然ながら国民達に慕われた。孤児のための家となる教会を作り、そこで勉強や技術を教えるような新制度を設けたのはご成婚前のルイ様である。甘いものに目がなく、街の若者達に交じって新しい菓子店の行列に並び、にこにことケーキを頬張る。
そんな王室が、一体全体どこに存在するというのだろう――そう、在るのである、このアルトリアには。
(引きこもってお菓子ばかり作ってたセボンを優秀な人材として見出したのもルイ様なのよね)
ロンダム王太子殿下と散歩中、たまたまセボンのアパートの前を通りがかったルイ王太子妃が、マフィンの香りに誘われてセボンの部屋のドアを叩いたのが始まりなのである。
アルトリア国の製菓業を発展させたのは、間違いなくこのルイ様とセボンであると断言できる。
幼いころからルイ様に片思いをしていたロンダム王太子殿下の、プロポーズもなかなかに傑作なのだが、話が長くなりそうなのでそれはまたの機会にさせていただこう。
腰を掴まれてなんとか立っていられるシーナを、ふくよかな頬を可愛らしく紅潮させたルイが見た。
「すごいわ、シーナ。甘くないプリンをお願いしたけれど、こんなに完成度の高いものを持ってきてくれるなんて」
ご結婚されてから、とにかく仲睦まじく過ごしてきた彼らだが、一つだけ合わないことがあった。
それは、味覚である。
マッチョなロンダム王太子殿下は、どちらかとえば辛党で甘いものは苦手。
ふくよかなルイ王太子妃は、一に甘味、二に甘味、三四も甘味、すべて甘味である。
アルバートのパーティーで、この世のものではないほど美味しいプリンと出会ったルイ王太子妃は考えた。
『ロンダム様にも食べてもらいたい――』
しかし、ロンダムは甘いものは苦手である。せめて見た目だけでも寄せて、けれど味はロンダム好みにすれば、一緒にお茶パーティーができるのではないかと考えたわけである。
王太子妃としてどれだけ忙しい日々を送っていても、ロンダムと穏やかに過ごす時間を楽しみにしているルイらしい発想だった。
そしてこのルイには、彼女の望みを叶えて上げたいと思わせるなにかがあるのである。
「シーナとセボンにお願いしてよかった。これで、ロンダム様と一緒にお茶会ができるわ」
ルイは花が綻ぶように笑った。
その場にいた全員が、ルイがちりばめた甘い花にくらくらとして、目を伏せる。
セボンだけがいつもの無表情で、シーナを支えていた。
「今回はセボンのお父様のパンファセも協力してくれたと聞いたわ。後でお礼に伺わなくてはね」
社交辞令ではない。ルイは有言実行の人間である。この予告通り、近いうちレオパルド家には王太子妃が訪問することになるだろう。
「このチャワンムシは、東の国との国交を広げるいい材料になる。あちらの香料の流通が増えれば輸入量も増やせる。そうすれば、あちらの豊かな資源を受け入れることのできる窓口になる。文化や言葉が違い過ぎて二の足を踏んでいた東の国との国交も、これでさらに深めることができる最大の一歩だ。シーナ嬢、このレシピを王家に譲っていただけないだろうか」
王太子妃のお願いを聞いただけだが、なんだかとんでもない展開になっている。
(椎奈のころの記憶が、私の世界に今活きている)
それはとても、言葉に表せない感情をもたらすものだった。
「私にロンダム様との素敵なお茶の時間をプレゼントしてくれて、アストリア国と東の国交にも一役買うなんて、シーナはとんでもない女性ね。是非、とっておきのお礼をさせて頂戴。希望があるなら、なんでも言って」
可愛らしい小花のような笑顔で太っ腹な発言をするルイに、シーナは暫く考えたあと口を開いた。
「それならば、一つお願いがあるのですが――」
■
「レオパルド家のシーナ嬢か。社交界で噂はよく耳にするが、それ以上に面白い女性だったな」
シーナ達一行があとにした王城の一室で、ロンダムとルイは穏やかな時間を過ごしていた。
テーブルには、セボンの作ったプリンとシーナとパンファセが作ったチャワンムシが置かれている。
「本当に。わたくし、あの子が気に入りました」
ルイが人の目がないのをいいことに、お行儀悪くプリンとチャワンムシ両方を突きながら言う。
「我々王族に我儘を許されたというのに、あのお願いとは」
ロンダムは思い出して、可笑しそうに口許を緩めた。
『――どうかルイ様には、夜会や舞踏会でこのプリンやチャワンムシのことを貴婦人方にお話ししてほしいのです。我儘を言えば、そういった場だけでなく、要人が訪れる際にもセボンが作ったプリンをお出ししてくださるとうれしいです。夕食には勿論チャワンムシを。そうして広めていくことで、東の国の調味料も需要が増えて、先ほどロンダム様が仰った流通への窓口へと繋がることと思います』
一息にそう言ったシーナに、その場の全員が無言を貫いた。
国の王太子と王太子妃に、堂々と商品の広告塔になってくれというものである。しかも最初から最後まで、完全に宣伝のことしか話していない。
『そんなものでよろしいの?どんな宝石でも、家でも、報酬でも、あなたに差し上げることができるわ。それに、あなたに言われなくても、きっと私達はそのように動いたと思うの』
沈黙を破って、ルイが首を傾げてそう言った。その様は妖精の姿をした魔女が誘惑しているようにシーナには見える。
(高望みは人を滅ぼす……)
『いいえ、ルイ様。私にはきっと多くのものが残ります。ロンダム様とルイ様がプリンとチャワンムシを愛してくださることは、きっと私の未来の財産に繋がっていくのです』
堂々と私のために役に立ってくれとのたまうシーナを思い出し、ロンダムとルイは吹き出した。
「あの子、目先のことだけじゃなくてちゃんと未来を見ていましたわ」
「ああ、きっと、このアルトリアに面白い風をもたらせてくれる」
二人の目の前には、お互いの好みの紅茶と酒が置かれている。
その表面が、風もないのにゆらゆらと揺れていた。
「あのセボンの隣に、あの子がいることがきっと鍵なのですわ」
「ルイは本当に、他人の恋が好きだね」
「まあ、ロンダム様。女の子はみんな、恋や愛を求めているのですのよ」
「私の愛だけじゃ足りないか、私の可愛いルイ」
アルトリアの直王位継承者とその妻は、プリンとチャワンムシの香るキスを交わし、可笑しな貴族令嬢シーナに想いを馳せた。
自分の将来のことしか考えていないというのに、知らぬところでとんでもない期待を背負わされていることを、シーナはまだ知らない。
■
――恐ろしいほどうまくいっている。
シーナはプリンとチャワンムシの売上台帳を前に、口許が緩むのを止められなかった。
プリンとチャワンムシの注文を受けた際には、パンファセと相談してレオパルド家の厨房で注文分を作っている。シーナが出先で作るという手も考えたのだが、イレギュラーな失敗が起きた時に対処しきれないということで配達型にしたのである。
セボンの手が空いている、なおかつ彼の気が向いた時だけ二人で赴き、出先の館で作るということもあるが、それがまた当たり――美味しいプリンと美しいセボン――を引き当てるゲームのように流行っているらしく、そういった注文も絶えない。
とはいえ、王都内ならともかく、遠い場所にある貴族領からの注文は断らざるをえない。運ぶにあたり、たくさんの氷といい馬、揺れの少ない馬車が必要だからだ。それを客側で用意できる場合にのみ、道中何かあっても責任はとれませんよ、という形で注文を受けることはあった。
レシピを売るか商品を売るかについて、シーナには結論が出せなかった。
だから、出向した先での客に選択させることにしたのだ。
プリンそのものをいつでも食べたいという客には、初回は必ずシーナ達が作ったプリンを買うという条件付きでレシピを売ったし、セボンの付加価値を求める客や、ただ流行りに乗りたいだけの客は、そもそもレシピを買うという考えがない。
(セボンに手伝ってもらってなんとか形になったお兄ちゃんのプリンのレシピ――本当にプリンが好きな人に持っててもらいたい)
何より、そうすることで発展が見込めるというのが大きい。
今、シーナが火付け役としてアルトリアに起こしたプリンという文化を、椎奈の時代のように定番として長く受け継いでいくためには、プリンを愛する人の協力が必要不可欠なのである。
レシピの横流しも起こりうるが、今のところそれで問題は起きていないので、シーナは日和見で今の状況を静観していた。
とにかく仕事を始めた今は、のんびり優雅にレイチェルとお茶をする余裕もなく、バタバタと忙しくしていた。
その間にアルバートからなぜかお茶の誘いなども貰ったが、時間の余裕もなくセボンに言われるがまま断ったり、そのことで兄が玉の輿が!やら俺とレイのふたりだけの生活が!とうるさかったが、やはり忙しくてまともに聞いていなかった。
ちなみに珍獣コッコは着実にシーナに餌付けされ、当初のセボンへの忠誠はどこへやら。今はいつでもどんなときでもシーナの頭に乗ってきゅいきゅい可愛らしく鳴いている。
そうしてコッコを頭に乗せつつ、せかせかと貴族たちのプリンブームに乗って働いたおかげで、短期間で結構な資金が貯まった。
そう、それこそ市井に、店を出せるほどの額が――。
「と、いうわけで、我が野望、我が未来、我がプリンの店〝三羽の風見鶏店〟にようこそ」
シーナは鶏のとさか色に塗った扉を、外に待つ人々を招くように開けた。
大金というものは、その金を持った人間にすら余裕を与えるものらしい。
シーナの行動は早かった。
貴族を相手取った商売でまあまあの利益を上げたシーナは、今度は市場拡大を狙い市井へとプリンを広げることにした。
その基点となるのは市民が身近に利用できる洋菓子店だ。
王太子妃ルイに相談を持ち掛け、いい立地の新しい建物の空きを紹介してもらったのだ。
元々はルイがプロデュースするパーラーを入れるはずだったそうだが、シーナの店のほうが断然面白そうだと格安であっさりと譲ってくれた。タダでやるとなるとシーナが気にす
るだろうとの心遣いで、額としては本当に小さなものである。
三階建てだが背の高い建物で、その上に設置されあ三羽の風見鶏はとてもよく目立つ。
中は丸まる空っぽの状態で、ルイの計らいで完全な菓子店としての内装と設備を備えての引き渡しとなった。
白いタイルと紺の壁紙、木の作業台が素敵な厨房は充分に広いし、商品を飾るための大きなショーケースもある。壁紙は清潔感のある桃色で、店のカウンター側の壁には、金細工で店の名前が描かている。三階には居住スペースもあり、間は中二階としてそこにテーブルや椅子を置いてカフェスペースにもできる仕様となっていた。
今はまだプリン専門店だが、ゆくゆくは洋菓子全般を扱ってもいい。なんなら軽食なども提案していって、洋菓子店とカフェの二足わらじでもいいかもしれない。
料理などここ最近始めたばかりのくせに夢ばかりは膨らむが、シーナは当面は一人での暮らし方を覚えることに苦労しそうだった。
三階の居住スペースには、シーナが引っ越すことになっている。
晴れて独立の第一歩である。
一番喜んでいるのは兄であるジャイスだ。
これでやっと愛しのレイチェルとのらぶらぶ新婚生活がコブなしで楽しめると舞い上がっている。
一方レイチェルは、シーナがいなくなることを大層寂しがっている。
「なにかあったらいつでも帰ってくるのよ?レイお姉ちゃんはシーナをいつでも待ってますからね」
涙ながらにそう言ってくれるレイチェルにシーナももらい泣きしたが、今はとにかく独立できたことが嬉しくて浸る余韻もないほどだった。
セボンを監修に据え、当面はプリンに必要な調理器具を揃えた。


