「私と結婚してください」

号泣するシュクレの口から、とんでもない言葉が飛び出した。
面と向かって美味しくできた燻製料理を差し出していたセイネの手から、その皿が落ちる。
「ア――」
シーナが叫びながらそれを受け止めると、招待客であるシスターとアルバート、そしてシュクレの同期でかる海軍の青年達から拍手喝采が起きた。
皿を抱えたままセイネを見ると、シュクレと同じく号泣している。
その足元で、アンジーがセイネのスカートを引っ張り、「ママ、返事をしなきゃだめよ」と世話を焼いている。
「あ、あ、でも……」
晴れた休日。
シュクレの誕生日パーティーの場で突如行われたプロポーズを、その場に招待されているすべての人間が固唾を飲んで見守っていた。
「ママ!」
しどろもどろになっているセイネに、痺れを切らしたアンジーが大きな声を出す。
「シュクレおにいちゃん、私にもプロポーズして!」
とんでもないことを言い出した。
シュクレは混乱したまま、小さなアンジーに跪くと、その小さな手を取る。
その場の全員が、え、するの?となった瞬間だった。
「愛しのアンジー、僕はとっても不甲斐ない男なんだ。僕より君のほうがしっかりしていると感心することもある。でも、もし、もし、君がよければ、そんな不甲斐ない私の、最愛の娘になってくれないだろうか」
シュクレの顔はもはや鼻水と涙でぐしゃぐしゃだ。
「もちろんイエスよ!私のママの旦那さんになる許可をあげるわ!」
シュクレの太い首にアンジーが大はしゃぎで抱き着く。
それを眺めていたセイネの顔も、シュクレに負けず劣らずもう酷い有様で、人間はそこまで涙が出るのかと驚かされるほどだった。
アンジーを抱いて立ち上がったシュクレが、セイネの頬にそっと触れる。
「セイネ、私は商家育ちの世間知らずだが、どうしてもあなたとアンジーの家族になりたい。できないことも多いし、だめなところもたくさんある。けれどあなたとアンジーと一緒なら、幸せになれると思うんだ。そしてあなた達を、アルトリアで一番幸せな母と娘にしたい……」
最後はもう、震えて観客達には聞こえなかった。
けれどはっきりと聞き取っていたセイネは、たくさんの涙を落としながら、力強くうなずいたのだった。

「拭いたら」
セボンから手渡されたハンカチで、シーネは大粒の涙を拭った。
「なんでシーナまで泣くの。ひっどい顔」
お前はなんでいつもみたいにギリシャ彫刻のままなんだ。たまには人間らしさを見せてみろと言ってやりたかったが、胸が詰まって言葉がうまく出てこなかった。
見守る先には、友人達にもみくちゃにされているシュクレと、そんなシュクレに抱き締められてやはりもみくちゃにされているセイネとアンジーがいる。
なんて素敵なもみくちゃだろう。あんな筋肉マッチョ達にもみくちゃにされたら暑苦しくて堪らないだろうが、シーナはなんだかとても羨ましくなってしまった。
「よかったね、燻製料理、うまくいって」
セボンが次から次へと零れていくシーナの涙を優しく拭いながら、そんな労いの言葉をかける。
「ほんとによかった……。失敗したときはどうしようかと思った」
思い出して、また涙が触れてしまった。それに嫌な顔一つせず、セボンは黙って涙を拭き取り続けている。
そうなのである。実はまあまあの回数を失敗した。
日の加減がうまくできずにチップを消し炭にしてしまったり、充分に乾燥させたつもりでも乾燥しきっておらず、食材が青臭くなってしまったり。
それでも、変わった普段の食材が変わった風味になるこの調理法に、セボンもアルバートも、ロンダム夫妻も、興味津々だった。
ちなみに、今回知恵を貸してくれたのは樵と、街の鉄板屋である。
樵は木の乾燥具合や燃え方に詳しく、鉄板屋は火を安定させる方法や、火力の調整の仕方を教えてくれた。
皆が皆、一風変わったこの調理方法で、一体どんなものができるのかと興味を持ってくれたのだ。
「皆のお陰だ。セボンもありがとう」
ここにはいないが、樵にも鉄板屋にも、そしてロンダム夫妻にも、完成したものを贈ってお礼をした。
ロンダム夫妻はこの燻製料理を新たなアルトリアの名物にしようと既に動き始めているし、樵にいたってはスモークチップになりそうな木を見つけたらシーナに連絡を入れると約束してくれた。
アルバートに至ってはスモークサーモンをいたく気に入り、実家のシェフに作り方を覚えさせると息巻いている。サラダに混ぜても美味しいよと言えば、テンションが上がっていた。意外と美食家らしい。
一番の目的であるシュクレは燻製卵を大層気に入り、毎晩食べたいと言ってセイネを早速困らせている。そんなことを言いながら、自分のためにセイネが頑張ってくれた事実が嬉しいだけなのだと、その場にいた全員がわかっていた。


「……私、自分がやりたいことが少し見えてきた」
視線の先で、セイネとシュクレが幸せそうに微笑みあっている。
「私、人の心に残る料理を作ってみたい。あの頃、あの時に、〝三羽の風見鶏亭〟で食べたよねって、誰かが思い出して笑ってくれるような、そんな料理を作りたい」
きっとそのたびに、いろんな人達に助けられるんだろう。
椎奈の記憶からヒントを得て、この次元の違う国、アルトリアで、シーナは美味しいものを作っていきたいのだ。
そして、誰かにとっての、〝マシュマロの浮いたココア〟を作ることができたら、それ異常に幸せなことはない。
「いいんじゃない」
セボンにそんな夢物語を語ると、気のない返事が返ってきた。
こっちは真剣なんだよ、と顔を上げた時、思った以上に真剣な顔をしたセボンと目が合った。
「わかる、その気持ち。僕もそうだったから」
――そうなの?
そう問い返す間もなく、シーナの唇にそっとセボンが口付けた。
「!?」
「馬鹿なシーナ」
そういうと、セボンはすたすたと料理が並ぶテーブルへと行ってしまった。
口許を覆い、シーナは混乱したままその背中を見送った。

空は青く美しく、孤児院の塀の向こうで、三羽の風見鶏がカラカラと回っているのが見えた。




END