「あの、ひとつ質問してもよろしいですか?」

「なんでしょう」

「この間、社長が言っていましたよね。『偽りでも恋人の存在を作っておくのは、今のお前にとっても悪い話じゃないと思う』って。専務にもなにか事情がおありなんですか?」


彼の表情が徐々に無になり、やがて困ったような苦笑に変わる。


「……そうですね。私も少々厄介なことがありまして」

「それは、私が恋人を演じることで解決するものですか? もしそうなら、ぜひ協力させてください」


力強く訴えたあと、わずかに目を開いてこちらを見下ろす彼に、「こんなことではお礼にならないかもしれませんが」と補足した。

今日助けてもらったお礼に、私にできることがあれば力になりたい。その思いを込めて見つめていると、しばし思案していた専務が口を開く。


「……本当に、協力してくださると?」

「もちろんです」


しっかり答えた直後、彼は足を止め、私に向き直った。

眼鏡が街灯の光を反射してきらりと輝く。その奥の瞳は普段の優しさをひそめ、どこか妖しげな色をしていてドキリとする。


「では、これから私のマンションへ来ていただけますか? あなたを、さらに愛し合っている恋人として扱わせていただきたい」


──まさかの要求に、私は目と口を開くだけで、しばらくなにも返すことができなかった。