「惺、そろそろ着替えた方がいいんじゃない?」

「あとちょっと待ってくれ」

俺、野山惺は今からショパンコンクールに出場する。

時間が無い。

それはわかっているんだ。

「失格になるよ?」

「本当にあとちょっとなんだよ!」

一緒に来ている真城星羅と谷崎アレンが急かしてくる。

でも俺は.....俺は。

弾く前にあいつの顔が見たい。

―――森本紗夜の顔が見たいんだ。

きっと来るはず。

あいつなら俺の演奏見に来てくれるって信じてるんだ。


「ヘリク。がんばってね。早く行かないと遅れちゃうわよ」

「あぁ、ヨアンナ。愛してるよ。離れたくないんだ」

「ヘリク.....。私も愛してるわ」

あぁ、イライラする。

「あの男って今日の大本命ヘリク・マリノフスキーよね」

「そうだよ.....」

コソコソと星羅とアレンが話している。


そんなとき、ふわっと風が吹いたような気がした。

.....っ。

あの背中は絶対に紗夜だ。

手に違和感を感じ、開くと紙を握らせられていた。

―――惺くん。がんばってね。

紗夜.....。

お前は何を隠している.....?


「俺、行ってくる」

「え?いいの?」

「お前らが行くように言ったんだろ」

「ま、まぁそうだけど」

「いいんだ。紗夜には会えた」

「は?」

「ふっ」

俺は紗夜の背中に向けて静かに口角を上げ、勝負の舞台へ足を進めるのだった。