両親の約束で、私は中学にあがる年に父のもとへ移った。
一応たったひとりの甘屋グループの後継だ。社長令嬢として相応しい教育を、と父が考えたためだった。

父の決めた学校に通い、日舞やお茶、お花といった子女教育もひととおり受けさせられた。習い事は格別嫌いではなかった。やってみれば面白いし、人並にできればいいと思えば、気もラクだった。
元より、引っ込み思案で気弱な私は、拒否するということが苦手だった。
闘うより、従う方が楽なのは、今までの人生で身に染みている。置かれた立場から抜け出す活力が足りなかった。
両親の都合であちらこちらと移動させられ、将来もぼんやりと決められている。
不満かといえば、わからない。自由がほしいかと言えばわからない。十代の私は、言われるままに日々をこなして大きくなった。

私が十八になった時、例の鶴の一声が降ってきた。
縁談だ。いずれ、婿をもらうのだろうと思っていた私は、東京に嫁入りすると聞き、仰天した。