「俺が怖いか」

怖いです。

「覚悟を決めろ」

覚悟はしてきたつもりですが、こうも話し合う余地がないとは思わなくて。

「おまえは俺のものになるんだ、幾子」

彼の手が私の襟を乱す。胸元が下着もろとも露わになる。彼の右手がくいと私の顎を持ち上げた。

「おまえには俺の子どもをたくさん産んでもらう」

そう言って、獣は餌を前ににやりと笑った。

頭が真っ白になった。
恐怖が極限を超えるとどうなるか、私は身をもって知ることとなった。

「うわあああああああああああ!!!!!」

今まで出したこともない迸る叫びがお腹の底から飛び出してきた。
そのまま私は拳を固め、夫である人の顔面を力いっぱい殴りつけていた、

人生で初めて人を殴った。それが今日結婚したばかりの夫……。

はっと正気に戻った私は恐る恐るめり込ませた拳を下ろす。火事場の馬鹿力が発揮されたのだろうか。彼の左の鼻と頬骨に拳は当たり、左鼻からつーっと鼻血が流れるのが見えた。
獣の空気が霧散する。
金剛三実はぽかんとしていた。真っ青になってがくがく震える私を見下ろしている。鼻を押さえ流れ出した血に「あ」と短く呟く。

「そうかそうか。オーケー、わかった」

三実さんは身体を起こし、鼻を押さえたまま立ち上がる。

「よし、また今度だ。おやすみ、幾子」

そう言って、寝室を出て行ってしまう。動けない私を残して。
襖を閉める直前に顔だけ出して言った。

「今日からよろしく頼む」

それは今朝見た爽やかな笑顔だった。殴ったのに……。怒ってない?

放心状態の私はしばし言葉もなく固まり、やがてばたりと布団に倒れ込んだ。そして気絶するかのごとく眠り込んでしまった。