「検討に読み抜けがある。そもそもお前が結婚するって前提が間違ってる」
「深瀬さん、思い込みを捨てないと痛い目見るよ。見えてない妙手ってたくさんあるからね」
「弥哉の彼氏の話でしょう? あんたたちはどうでもいいの」
「彼氏はともかく、部屋探しは手伝うからいつでも連絡してこいよ」
「うん。……川奈さん、無理しなくていいから、トマト丸飲みするのやめて」
誰かを紹介されなかったことにホッとして、私はメロンとアイスクリームを交互に味わった。
「でさ、『わたし、カレーは三日かけて作るんですぅ』っていう女って、なんでイラッとするんだと思う?」
「カレーって、どうやったら三日かけられるんですか? ジャガイモを栽培するところからやるの?」
「それ、逆に三日でできたら早いだろ」
手間隙かけてカレーを作る人はいるけれど、三日の内訳は聞いたことがない。
「玉ねぎ炒めるのに時間かけて、煮込むのに時間かけるってことだと思う」
私が作っているわけでもないのに、お兄ちゃんは蔑んだ目でこちらを見てきた。
「コスパ悪すぎ。カレー屋行け」
「お兄ちゃんに彼女できない理由がなんとなくわかった」
「イラッとするの、私だけ? 川奈くんは?」
「三日かかるカレー食べてみたいです。俺はいつもレトルトだから」
「レトルトも最近種類豊富だよね!」
「そうそう! この前タイ風猪カレーで失敗したけど、失敗もまた楽しいんですよ」
川奈さんの元カノさんは、カレーに三日かける人ではなかったらしい。
いや、カレーに三日かけてる人なんて、私の身近にはいない。
「お菓子作りが趣味で、グミまで作ってた明依でも、カレーは普通だったよ」
「明依ちゃんって、結婚式そろそろじゃなかった?」
川奈さんをチラッと見たけれど、今度は何の反応もせずに未だにトマトと格闘を続けていた。
「うん。今週末」
「旦那の元カノの前で幸せの涙を流すって、どんな気分なんだろう」
「本当に吹っ切れてるから大丈夫。ちなちゃんこそ無神経だよ」
「そうだね。ごめん」
明依の罪悪感が面倒臭くて始めた嘘は、それ自体が面倒臭くなっている。
じゃあ何が面倒臭いのかと言うと、それがはっきりしなくて、何もかもを投げ出したい気分だった。
明依の幸せを祝いたい気持ちはあるのに。
「二次会ならカラードレスかな? 写真撮ってきて見せてね」
「やっぱり式もすることにした?」
「ううん、写真だけ撮る。新婚旅行には行きたいな。北海道とか」
「ハワイとかモルディブじゃなくて?」
「国内がいいよ。日本語通じるし、治安もいいし。海外行くってストレスじゃない? あ、四つのブルーのひとつってさ、“ハネムーン・ブルー”じゃないかな?」
お兄ちゃんが「そういえば白取がさ……」と言うので聞き耳を立てたけれど、詰将棋の話題だった。
棋士がふたり以上集まると、わけのわからない符号が飛び交う。
川奈さんは宙を見てぶつぶつ口の中で何か言いながら、ビールやきんぴらごぼうを詰め込んだ。
「消化に悪そう」
今飲み込んだゴボウが、胃ではなく肝臓に入っても、川奈さんは気づかないと思う。
その日、川奈さんがこちらの世界に戻ってくることはなかった。



