「お兄ちゃんの周りの人しか知らないから、棋士ってもっと地味だと思ってました」

「どんな職業でもそうですけど、人それぞれでしょ」

「そうですけど、黙々と詰将棋解いてて、『女の子と話すの緊張する』って人と同じ立場とは思えません」

香ばしくスモークされたサーモンとみじん切り野菜を器用にフォークですくいあげ、白取さんはポイッと口に放り込んだ。

「プライベートはともかく、ファンの数は多くないですよ、俺」

「え、意外」

「俺は昇段して間もないし、何より実績がね。人気という点なら、川奈さんの方が圧倒的に上です」

「ええ! さらに意外!」

「弥哉ちゃん、川奈さんの将棋知らないでしょ?」

「はい」

私の方はなかなかきれいに食べられず、サーモンを口に入れてから細かい玉ねぎを後から足し入れる。

「川奈さんはね、受けが強いんですけど、」

「“受け”って、“守り”ってことですか?」

「確かに守りの要素が強いけど、それだけじゃない」

どういうことなのか理解できず、口の中のサーモンより、言われた言葉を咀嚼していると、白取さんはワインで口を湿らせてから続けた。

「将棋は基本的に、(ぎょく)を守る城造りから始めるんです。まずはかんたんにやられない陣形を組む」

「“囲い”ってやつですね」

「そうそう。正解」

ご褒美に、とバケットをひと切れ渡される。

「“守る”っていうと、玉をその囲いの中に置いたり、他の駒が盾になって攻撃を防ぐことだけど、“受け”ってそれ以外にも、逃げたり、攻撃をやり過ごしたり、攻撃させない要素もあるから」

「攻撃されたときの対応全般ってことですか?」

「そうそう、正解! はいご褒美」

「まだ残ってるのでいらないです」

白取さんは笑って、差し出したバケットを自分の口に運んだ。

「プロの将棋ではガチガチに囲うんじゃなくて、バランスを見ながら駒組みすることが多いんですけど、川奈さんはそのバランス感覚に優れてる。玉が薄くても(守る駒が少ない)避けたり、攻め駒を取ったり、なんだかんだで詰まない」

囲えばどのくらい安全なのか、囲わないとどうなるのか、感覚として理解できない私は「ほえー」と開いた口にもらったバケットを詰める。

「攻める方が好きって人が圧倒的に多いんです。攻めはたったひとつ手が繋がればいい。でも“受け”は、相手のあらゆる攻撃を読まないといけない。読んで、自玉(じぎょく)が耐えうるか全部考えないと。もしひとつでも読み抜けがあったらすぐ首が落ちる。川奈さんみたいな将棋は、読みの正確性とバランス感覚、何よりセンスがないとできないです」

白取さんはバケットを三種のきのこのアヒージョに浸してから口に運ぶ。
私はすっかり手が止まっていて、白取さんに「食べないんですか?」と指摘された。
とりあえず口に入れた舞茸は味がよくわからない。

「川奈さんは本当に人気なんです。主に、四十歳以上の男子から」

「ぶふっ!」

ものすごく遠いところに行っていた川奈さんが、いつもの位置まで戻ってきた気がして、クララの味もおいしく感じられた。