「帰るぞ」
そう言って男は自分の腕を掴んでドアを開け、此方の足取りなど気にも留めずに前を歩いていく。
途中で何度も腕を振ったり捻ったりしてみたが、どう足掻いても解けず、声を掛けても街の喧騒に掻き消されるだけ。
そのうち一台の車の前に着き、助手席のドアが開けられて促されるまま乗車し、運転席に乗り込んだ男とシートベルトをするタイミングで顔が近づく。
思わず顔を引く自分に男は笑って
「物欲しそうな顔するな」と言って額を人差し指で弾いた。
「い、ったい……そんな顔してない、です……」
それを切っ掛けに口は止まることを恐れずに言葉を投げかける。
「大体、どこ行くんですか、早く帰りたいんですけど」
男は黙って煙草を口にして火を点け、サイドブレーキを落として車を走らせた。
そして一息吐いて言う。
「だから今帰ってる」
「……言ってる意味がわからないです」
自分が首を振ると男は鼻で大きな溜息を吐き、口を開く。
「なんだっけ、あの男、髭面の……」
『それはアンタもや』と心で突っ込み、恐らくは出てくるであろう名前を浮かべるが、口にするのが億劫になって黙る。
お腹が空いて気力が飛びそうになるのを何とか堪えていた。
それはそうだ、朝食べたきり何も口にしてない、水すらも飲んでない。



