次の日の夕方、純平が出張から帰って来た。
 空港に着いたという連絡を受けてから、玄関のチャイムが鳴るまでの間がとても長く感じた。

「ただいま」
「お帰りなさい」
「あ、ちょっと」

 玄関で純平に抱きしめられる。
 胸がキュンとした。
 大好きな純平。
 会えなかったのはほんの数日だったけれど、恋しくてたまらなかった。

「純平」

 彼の背中に回した腕に力を込める。

「会いたかった?」
「決まってるでしょ」
「よし、それじゃ一緒に風呂に入ろう」
「ご飯は?」
「その後でいい?」
「いいわよ」

 という事で、いつものように純平に体をゆだねるようにもたれかかる。

「出張どうだった?」
「無事、任務は果たした」
「商談、成功したんだね」
「ああ」
「おめでとう」
「いやー良かったよ。これで安心して年が越せる」

 お風呂に浸かりながら、夕べの女三人の忘年会の事を話した。
 奈々美が結婚する話や、めぐみがいつものように酔いつぶれた話。
 子どもの事について相談したわたしの話は胸の中にしまった。


 あと数時間で新しい年。
 まだ実感が沸かない。
 予定通り、大みそかは朝からゆっくり出来た。
 おせちは明日実家で頂く事になっている。
 なので、わたしは何も作っていない。
 お義母さんが元気だったら、彼の実家でおせちを作るのを習わせてもらいたかった。
 一緒に並んで、嫁と姑の感じを体験したかった。
 ずっと施設で暮らしているお義母さん。
 最近、認知症が進行し、純平が行っても息子だとわからない日もある。
 そこにたまにしか行かないわたしが顔を見せたりしても、まったく誰だかわかってもらえないよね。
 そう思うと悲しい。
 でも、会いたい。

「純平、明日初詣に行った後、お義母さんの所にも寄ろうよ」
「いいけど」
「元旦でも、面会大丈夫だよね?」
「ああ」

 十一時四十五分。
 いつものように、除夜の鐘の映像が映し出される。
 静寂なお寺。
 鐘が突かれ、人の姿も映っているんだけど、それでも静寂な雰囲気は消えない。
 もうすぐ新しい年が始まるという実感が、やっと湧いてくる。

 そして、新しい年がやって来た。

 初詣は、近くの小さな神社に行った。
 歩いて行ける所にあるのが嬉しい。
 人気のある大きな神社は、車を止める場所を探すだけで一苦労するから。

 今年のお願い。
 みんなが幸せになりますように。
 
 施設までは車で行った。
 午前中はまだ駐車場には車もまばらだった。
 玄関に近い所に車を止め、お義母さんの部屋を訪ねる。

「母さん、明けましておめでとう」
「お義母さん、明けましておめでとうございます」

 純平に向かって笑顔を向けたお義母さんが、わたしの挨拶に怪訝な表情を浮かべた。

「あなた、どなた?」
「やだな母さん、清美だよ。俺の嫁さん」
「翔ちゃんは?」
「えっ?」
「翔ちゃんは連れて来てないの?」
「いないよ」
「あんた、あの子を家に一人で残して来たのかい? 何かあったらどうするの。すぐに帰りなさい」

 翔ちゃんって、誰?
 顔が引きつる。
 小さな子?
 まさか、純平に隠し子?

「翔は遠くにいるから来られないよ」
「そうなの? あの子、何歳になったかね?」
「今年小学校かな?」

 純平? 
 そんな子がいたの?
 わたし、何も聞いてないよ?
 心臓がどきどきした。
 意識していないと、過呼吸になりそうだ。

 そんなわたしの変化に気が付いたのか、そっと彼が耳元で囁く。
 心配しないで。後で話すからと。

「母さん、今日は元旦、新しい年が来たんだよ」
「えー、本当? あらやだ、お年玉準備してないわ」
「いいよ。俺、大人だし」
「何言ってるんだい。まだまだ子どもだよ。ちょっと待って、ほら、あそこの引き出しから財布を取ってちょうだい」

 お義母さんには、三十歳を過ぎた息子が、まだ子どもに見えているようだ。
 さっきの件が気になるけど、ここで追及するべきではない事はわかった。きっとお義母さんには聞かれたくないんだ。
 待とう。
 帰りまで。

「ほら」

 財布を受け取ったお義母さんは、中から千円札を一枚取り出した。

「ほら、今はこれしかないけど」
「ありがとう」
「それから、あの子にも」

 お義母さんは、わたしにも千円札を一枚くれた。
 表情は穏やかになっていた。
 それでも、わたしの事が誰なのかはわかっていない。

「ありがとうございます」
「翔ちゃん、ちゃんと面倒見てくれているんだろうね?」
「もちろんだよ、母さん。心配しないで」
「会いたい。今度連れて来てよ」
「そうだね」

 お義母さんに別れを告げ、車に戻った。
 シートに腰を下ろすなり、純平がわたしの手を握った。

「清美、ごめん!」
「えっ? やっぱり隠し子?」
「そう思っちゃったかー」

 純平が寂し気な笑顔を浮かべる。

「実はさ、俺の弟として生まれるはずだった子なんだ」
「えっ?」
「死産だった。俺もまだ四歳だったからよく覚えてはいないんだけど、名前も翔って決めてたんだ。母さんの腹に向かって、翔って呼び掛けていたのは何となく覚えてる」
「そうだったの」
「最近、よく思い出すみたいなんだよ。母さんの中では、弟は生きているんだ」
「辛いけど、その方が幸せなのかもね」
「ああ。翔の話をする時は、いつも幸せそうにしてる」

 そうなのね。
 自分の子どもが死んだなんて、誰だって思いたくないよね。

「清美、これからも母さん、変な事言い出すかもしれないけどさ、話合わせてやって欲しい」
「もちろんよ」
「ごめんな。驚かせて」
「ううん」