子どもの頃、フラ・アンジェリコが描いた「受胎告知」というタイトルの絵が好きで、よく画集を眺めたり、模写したりしていました。処女マリヤに、天使が、キリストの受胎を告げる場面です。パンパカパーン!「おめでとう、恵まれた方」と。いや、ちょ待て。ビックリするだろうよ。そんな、男を知りもしないのに、突然天から使いが降ってきて「あなた、神の子を身籠ってますよ、おめでとう」ってさ。おめでとうじゃねぇ、状況を説明しろ、いますぐに、もっとくわしく!と、私なら天使の首根っこを捕まえてユサユサします。

ってなツッコミは置いておいて(笑)

告知の巻、です。

本当は、安定期に入るまで周知したくなかったんですよね。なんたって40歳だし、途中なにがあるか分からないから。
しかし、着床し、心拍も確認でき、妊娠週数10週を越えたところで、これまでお世話になってきた不妊専門クリニックを「卒業」しなければならなくなったのです。
クリニックからは「次の診察で最後なので、次回までに産む病院を決めてきてください。紹介状を書きますので。」と言われてしまいました。おおふ。
出産までお世話になりたいのは山々なのですが、ここはあくまで「妊娠に至るまで」を支援してくれるところ。「分娩」は取り扱っていないので、自分で産院を探さなければなりません。
さて、ここで一つ問題が。

「里帰り出産、する?しない?」問題です。

実家までは、車で1時間半ほどかかります。
そんなに遠くないとはいえ他県だし、分娩までちょくちょく健診に通えるような距離でもありません。ましてや、産気づいてすぐ行ける距離でもない(笑)。

と、なると、私に与えられたのは

①自宅近くの病院で産み、産前産後は実家の母に手伝いに来てもらう

②里帰り出産し、産後しばらく実家のお世話になる(夫には週末ごとに通ってもらう)

この2択です。

選択するには、実母に相談せねばなりません。
ありゃー。もうちょっと育ってから報告するつもりだったのになー。

そういうわけで、かなり早い段階で、母にだけは話しておくことに。案の定「、、、えっ!?」と驚きすぎて固まっていましたが、開口一番「おめでとう!」とお祝いしてくれました。
(そして祝福されたことに戸惑う娘。いやー、お母さんもおめでとう〜と他人事に言ったら「何言ってんのあんた」と冷静に突っ込まれました)

結局、①自宅近くの総合病院、で産むことにしました。母がしばらくこちらに来てくれる、と言ってくれたので。そんな話で内々にまとまったのが11月も末の初冬の段階。

母は、はやく父に話したくてしょうがなかったようですが、しばらく口止め。
ちょうど年末の帰省で家族みんなが揃うので、皆にはその場で、すき焼きでも囲みながら、それこそパンパカパーン!と受胎告知をするつもりでした。だって電話で言うよりその方が良いでしょう、近く集まる予定があるのなら。せっかくだし、皆でお祝いしようよ!そう勿体ぶった私は、悪くない。

だって、誰も予想できないじゃないですか。

年の瀬に、両親そろって、インフルエンザに罹るなんて(爆)。

それは12月30日の午前11時のことでした。
あと5分で実家近くのインターチェンジを降りる、という段で、母からの着信。ん?着信?なに?途中のスーパーでネギ買ってきてくれ?いいよ?ハイハイもしもし?、、、えっ、、、インフル、、ええええええええええええ!?

よりによってインフルエンザ。
その年、大流行してたんですよね。
われ、妊婦。
実家の扉も開けられない(笑)。

幸い、休日診療している病院が近所にあったので父母ともに大事には至らず。
私たち夫婦はポカリやらレトルト粥やらを詰め込んだ救援物資を実家の玄関に置き配し、熱でふらふらの父に「こんな時になんなんだが、わてら、赤ちゃんできましてん。だから頑張って元気になってね。」と訳の分からない報告の仕方をし(笑)。新幹線に乗って帰ってくる直前だった弟には、LINEで報告をしました。
(皆、突然のインフルエンザ罹患+当日帰省キャンセルというドタバタの中、更に投下される爆弾・受胎告知に頭の処理が追いつかない)

皆そろってあたふた、あたふたしていました。
どんな報告の仕方なんだ、まったく。いや、仕方ないんだけれども。なんとなく、年を跨ぎたくなかったし(というか、夫の両親は年末の時点ではもう知っていたので、両家の足並みを揃えておきたかった)。

まあ、コロナ禍の今となっては、インフルエンザで済んで良かったねーという話なのですが。

そんなこんなで、改めて、年が明けて、両親のインフルが完治してから、すき焼きではなく、胃に優しいとろろ粥を囲んで(笑)お祝いをしたのでした。