転校の手続きをしてもらい、私は学校に行くことをやめました。

その頃
家は荒れ始めていました。

きっと祖母の遺産が底をつき始めていたのでしょう。

私が少しミスをすると、母は狂ったように怒り狂いました。
顔を叩かれ背中を蹴られ
吐くまで立たされたり、唇を針で縫われそうになった事もありました。

一緒に死のう、と包丁で刺されそうになったことも1度や2度ではありません。

「お前なんか産まなきゃ良かった」
「何でそんなに馬鹿なの?何度言ったらわかるの?」
「死んじまえよ」
「どっか行けよ、家から出てけ」
「頼むからもう死んでくれ」

何度浴びせられたか分からない罵倒の数々。

今思えば異常です。
警察に駆け込めば良かったと心から思います。

ですが、当時の私は
自分が出来損ないだからこんなに怒られるんだ。
他の家だってきっとこうなんだ。と本気で思っていました。

社会との交流が無いので
自分の家の異常さに気付くことが出来なかったのです。