「ありがとうございます。でも本当に大丈夫です。それに私も聞いてもらいたいので」

「そうか。ありがとう」

穏やかに微笑む修吾さんに私は話し出した。






私が母を亡くしたのは高校三年生の冬。
私が希望大学に推薦で合格した一週間後、信号無視した車のせいであっけなく死んでしまったのだ。

直後は流石に呆然としていたが、お葬式の後に母の同僚が訪ねて来てくれた日を境に私は強なった。保険の外交員をしながらシングルマザーで娘を育てていた母に呆れられないように、逞しくなろうと決めたのだ。

保険金やら賠償金で大学を卒業するまでの学費の心配はしなくて良かったし、バイトをすれば生活も出来た。親身になってくれる親戚もいない変わりに、強欲な親族にお金をむしり取られることもなかった。同じくシングルマザーだという母の同僚さんが諸々の手続きも教えてくれた。
客観的に見ても恵まれていた方なんだと思う。

成人するまで書類上の保護者になって欲しいと親戚の一人に頭を下げて、少しまとまった金額を渡したら、それで面倒な話はおしまい。