アイラは何も答えなかった。

「真冬。あれを見て」



彼女が指さす先を見ると――キッチンの正面左、リビングから見て隣の空間はアトリエになっていた。

中央に置かれたイーゼルの周りには、まるで聖人に群がる敬虔な信者の様にずらりと絵が並べられている。

その全ては、雪原で氷漬けにされた人々の絵……かつてイブが魂を込めて描いた絵。

もちろんそのことを知っていた僕は、アトリエに入ると辺りを見渡しながら彼女に告げた。

「アイラが言ってた面白いものってこれのことだよね」

「そうだよ。真冬がまた見たら喜ぶと思って……何しろ、あの子が描いた作品だし」



最後のセリフの部分は、何だか拗ねている様に聞こえた。

やっぱり妬いてるんじゃないだろうか……と僕は思ったけど、雰囲気を壊したくなかったので追及するのはやめておいた。

失われた雪原の絵を見るのは、嬉しいと同時にどこか胸を突き刺すものがあった。

かつてイブはこのログハウスの林を抜けた先にある雪原で、氷漬けになった人々をキャンパスに描いていた。

そうすることでその人々は死なずに済む、この世界が壊れても失われずに済むと信じて止まなかったからだ。

その時の僕はその行為をただ傍観しているだけだったけど今なら分かる。

彼女の行為はとても崇高で、賞賛されるべきものだった。

僕が記憶の中から消し去ろうとした人々を、イブは少しでも僕の中に留めようとしてくれていたのだから。

もしイブがそうしてくれなかったら、僕は現実世界に戻った時今まで出会った人々全てを忘れてしまっていたことだろう、

そんなことを思い返しながら額縁に入った絵を手に取って見ていた僕は……次の瞬間、見慣れない一枚の絵に気付いて思わず目を見開いた。

「どうしたの?」

背後からアイラが声を飛んでくる。

「何か面白い物でも見つけたかしら?」

外から聞こえる鈴の音が、強くなった気がした。

僕はその絵にゆっくり近づき、震える手で額縁を掴む。

その絵に描かれていたのは、長い銀髪と共に氷に封印された女性の絵だった。

しかしその絵は未完成で、目と鼻だけが描かれていない。

しかしその荘厳な体躯と、穏やかに微笑む口元だけで分かった。この絵の正体は――

「ねえ、どうして答えてくれないの?」

鈴の音がバクバクと脈打つ鼓動に呼応して激しくなっていく。

僕がゆっくり振り返ると……アイラは、僕の肩を掴んで地の底から響くような声で囁いた。



「他の誰でもない――真冬が私を殺したのに」