いま、名前を呼ばれた?
私と彼は、数分前に会ったばかりのはずだ。私は彼の名前を知らないし、歳も、職業も、何一つ分からない。
平然と私の名前を口にした彼に目を丸くしていると、彼は肩の力を抜いたように、小さく息をして私を見つめ返した。
「…“逢坂百合”。“歳は二十七”で、家族構成は“大学生の弟と祖母”、“現在は一人暮らし”、仕事は“広告代理店の営業部”だったか。」
「?!!!!」
名前どころか、それはれっきとした個人情報。見ず知らずの男性が、ぺらぺらと口にするなんておかしい。
(まさか、“こっち”の方がヤバいストーカーだったとか…?!)
「ーー今、俺の素性を疑っただろ。」
「っ!」
「さっきの男と一緒にしないでくれ。お前の情報は、“データ”として頭に入っているだけだ。他でもない、“見合い相手”のことだからな。」
“見合い相手”?
すっ、と差し出される“名刺”。何がどうなって、“大人のホテル”で名刺交換しているんだ。
ーーと、そこに書かれた文字の羅列を見た瞬間、私の呼吸は停止する。
“ハルナホールディングス 取締役副社長
榛名 律(はるな りつ)”
“ハルナホールディングス”は、楽器・音響機器の販売や教室運営など各種音楽関連事業を展開する企業を複数傘下に持つ、業界では国内最大手の持株会社だ。
最近はイベントの企画や歌手・アイドル事務所の立ち上げなどのエンターテイメントも行なっているとテレビで見た。



