いつもと変わらない朝、出勤準備を終えた遥さんに玄関先で声をかけられた。

「澪、行ってくる」

「はい、行って……」

らっしゃい、と最後まで言えなかった。答えは簡単、恋人が私の唇を奪ったからだ。

漆黒の髪が額をくすぐって、至近距離に整った容貌が迫る。

唇が離れるとそのまま広いスーツの胸に抱き込まれて一気に鼓動が暴れだす。

「い、いきなりするのはやめてくださいってあれほど……!」

「いきなりじゃなきゃいいのか?」

クスクス囁くような声を漏らしながら恋人は楽しそうに言う。

「そういう意味じゃありません」

「やっぱり可愛いな。澪、話し方は?」

「えっと、あ、あのっ」

急に指摘されて対応できない。

「はい、お仕置き」

からかうような素振りをみせて、また唇を優しく重ねる。

「行ってきます。また後でな」

妖艶な眼差しを残し、玄関ドアを開けて出て行く恋人を見送り両手で頬を抑える。


ああ、もう本当にこの人には敵わない。


遥さんはふたりでいる時、よく触れてくる。

毎朝出勤前には抱きしめたり不意打ちでキスをしてくるし、それ以外でも手を繋いだり甘く優しく接してくれる。

もちろん嫌ではない。

元々本質は優しい人だと思っていたけれど、その接し方や気持ちの表現は想像を超えていた。

通勤はいくら恋人であっても立場、役職が違うので同乗して出勤するわけにはいかない。

いくら公認になったとはいえ、そこは譲れず電車通勤をしているのだが、この件を告げた時、恋人は猛反対した。