「なに、パリスイの社交界では日常茶飯時だ。こんなことは」

 焦らすように、前置きを語ってからリオネルは美鈴の耳元で囁いた。

「……今夜、アルノー伯爵は舞踏会に来ない。それを伝えに、親友のジュリアンをこの場に寄越(よこ)した……まあ、名門貴族のお坊ちゃんの気まぐれだな、要するに」

 皮肉っぽく最後にそう付け足して、リオネルは背筋を伸ばすと面白そうに最前列付近で繰り広げられるやり取りに視線を戻した。

 人垣の隙間に、心底申し訳なさそうに侯爵夫人に向かい頭を下げ、謝罪しているジュリアンの背中を美鈴の位置からも見て取ることができる。

 一体どうなることかと広間に詰めかけた一同が見守るただ中で、侯爵夫人は扇をそっと閉じ辺りを見渡して優雅に微笑んで見せた。

「お集まりいただいた皆様、お待たせして申し訳ありません。……楽隊の準備も整ったようですし、もう間もなく、最初の曲の演奏を始めます。今宵の舞踏会、どうか心から楽しんでいってください」

 (りん)と通った声が、広間に響き渡り、侯爵夫人の挨拶に次いで沸き起こった拍手と人々のどよめきがやや後方にいる美鈴たちの元にも押し寄せてくる。

 気の早い人々がオーケストラが控えている舞踏の間に移動しようと動き出す中、美鈴とリオネルはしばし立ち止まり、前方のジュリアンと侯爵夫人、そしてアリアンヌ嬢に視線を向けた。

 侯爵夫人はまだ頭を垂れているジュリアンの肩に優しく手を置くと彼の耳元に何事かを囁いたようだった。

 その隣には扇で口元を隠しながらも、美しい容貌を落胆で(くも)らせたアリアンヌ嬢の姿が見える。

 ジュリアンはもう一度深く侯爵夫人と令嬢に対して一礼すると、(きびす)を返して広間から出る人々の群れに加わった。