「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」

 ……鳥の声すら聞こえない、シンと静まり返った森の奥から、明らかに獣とわかる息遣いが近づいてくるのがはっきりと聞こえた。

 オオカミか、はたまた野犬の類か。いくら国政事業によって整備された森とはいえ、これだけ広大な森ならば、何か得体のしれない獣が潜んでいてもおかしくはないと美鈴は思った。

 とっさに、近くにあった低木の茂みに身を隠したが、獣の息遣いと足音はその間にもどんどん美鈴の方に近づいて来ている。

 低木の茂みで自分の両肩を抱きながら、美鈴は涙の滲んだ瞳をつむった。

「ハア、ハア、ハッ、ハッ」

 ……獣の息遣いがすぐ間近に聞こえる。観念して美鈴が目を開けたその時、美鈴の横にいたのは、シェパード犬に似た耳のピンと立った大型犬だった。

 犬はよく手入れされた毛並みで青い革製の首輪をつけており、何をするでもなく美鈴の横におとなしく座って、やや小首をかしげふんふんと控えめに鼻を鳴らしている。

「か、飼い犬……?」

 野生のオオカミではなかったことに大いに安堵しながらも、犬を刺激しないよう、ゆっくりと立ち上がりながら美鈴は呟いた。


 それとほぼ同時に、犬がやって来た森の奥の小路から、人の足音と涼やかな男の声が聞こえてきた。

「おい、ドルン!あまり先に行ってはいけない。……一体、何をそんなに急いでいるんだ?」

 美鈴の隠れている茂みに現れたその男……それは、美鈴がかつて見たこともないほど美しい容姿をした青年だった。