振り返ると、細かくウェーブした黒髪を肩までで切りそろえた、質素な黒いコートの若い男性が、美鈴に向かって美しい刺繍が施されたハンカチを差し出していた。

「いえ、それは、私のものでは……」

 見覚えのないハンカチに美鈴が気を取られている隙に、男は二歩、三歩とゆっくり間合いを詰めてくる。

「そうでしたか……これは失礼」

 ハンカチを懐にしまいながら、男は再び鋭い視線で美鈴を捉えた。

「私の勘違いで美しい令嬢(レディ)の足を停めさせてしまいました……。どうか、ご無礼をお許しください……」

 美鈴の真正面に立った男はその場に跪くとやや強引に美鈴の手を取り、白い手の甲に口づけをした。

「それにしても、貴女のように美しい方が、こんな場所でお供も連れずに、なぜ、お一人なのです……?」

 ほとんど黒に近い、濡れたような焦げ茶の瞳で美鈴の視線を捉えたまま、男はひそやかに問いかけた。

「……いえ、実は、人を待たせていて……失礼します」

 美鈴は男の手を振りほどこうとしたが、細身の男にしては案外力が強く、美鈴の手を握ったまま離そうとしない。

 紳士的な言葉とは裏腹に、美鈴を解放する気はさらさらないらしい。

「離してください……! わたし、急いでいるので」

 捉えられた手を必死に振りほどこうとする美鈴は男の表情をみてハッとした。

 色白で顎の細い男の顔は切れ上がった目じりの鋭い瞳と相まって、ある種の美男子といっても差支えないほどだったが、その瞳の昏さに背中を氷でなぞられるような悪寒が走る。