白い壁に緑の屋根の美しく簡素なアルノー伯爵家の別邸。

 ここに来たのは夏の始まる頃……それなのに、あれから長い時間が経ったように思える。

 アリアンヌに続いて屋敷の中に入りながら、美鈴は森の中でフェリクスに助けられこの屋敷で介抱された時のことを思い出していた。

 ブールルージュの森で初めて顔を合わせた時にはその美しさに思わず見惚れてしまったほどだった。

 ……美しくて、優しくて……不器用で。

 フェリクスの顔を思い浮かべる度に想いが胸に溢れてくる。

 ――知らなかった。こんな気持になるなんて……。神様!

 どうか、フェリクスを……。

「……ここですわ」

 アリアンヌがフェリクスの寝室の前で美鈴に囁き、扉を軽くノックした。

「ミレイ殿……!」

 ジュリアンが扉を開けると、急いで美鈴を中に招き入れる。

 疲れがにじんだ顔に一瞬ホッとしたような表情を浮かべたジュリアンだったが、すぐにその表情は険しいものに変わった。

「……アリアンヌ様から聞いているかもしれないけれど、フェリクスの意識が戻らない」

 深くため息をついてジュリアンは揺れる瞳を寝台の上のフェリクスに向けた。

「こちらへ……。彼の傍にいてやってくれないか」

 窓から入る明かりは少なく部屋の中は薄暗い。

 時が止まったようなその空間で力なく横たわるフェリクスの姿を見た瞬間、美鈴は胸が締め付けられるような気持になった。

 薄い光を受けて亜麻色の髪は淡く光り、長い睫毛は伏せられたまま濃い影を作っていた。

 あらわな肩から胸にかけて撃ち抜かれた背の傷の手当てのために包帯で幾重にも巻かれているのが見るからに痛々しい――。

「フェリクス様……」

 白く生気のない顔色に乾いた唇……。その姿を見ただけで涙がこぼれ落ちそうになる。

「ジュリアン様、お願いがあります」

 ジュリアンを振り返った美鈴の目は涙で光っていた。

「少しの間、二人きりにして頂けますか」

 美鈴の言葉に力強く頷くと、ジュリアンは踵を返して部屋から出ていった。

 いつの間にか窓から差す光はさらに少なくなり、ポツポツと雨が降り出す音が聞こえ始めた。

 初めてこの屋敷にやって来たあの日も、雨が降っていたっけ――。

 フェリクスに足の手当てをしてもらっている間に通り雨が降り、その後に見た天から降るような光の柱を美鈴はまざまざと思い出していた。

「美しかったですね……あの日の空」

 横たわるフェリクスに向かって美鈴はそっと語りかける。

「もう一度、あなたとあの空を見られたら……」

 青ざめたフェリクスの頬にぽつりと一粒の水滴が落ちる。美鈴の瞳に溢れた涙は降り始めた雨のようにパタパタと流れ落ちフェリクスの頬を濡らした。

 ハンカチを取り出してフェリクスの頬にそっと押し当てても、弱い呼吸の音が聞こえるだけで目を開ける様子もない。

「フェリクス様……わたし、やっと自分の気持ちに気づきました」

 瞳を閉じたままのフェリクスに美鈴はそっと語りかけた。

「本当に長く待たせてしまったけれど……こうしてまたあなたに会うことができました」

 視界が再び溢れた涙でぼやけてしまう。それでも美鈴はフェリクスを見つめながら言葉を紡いだ。

「あの時、守れなかった約束を――守らせて、お願い……!」

 もう、こみあげる涙を止めることはできなかった。顔を覆って枕元に伏した美鈴の頭に何かがそっと触れた。

「……かった……」

 か細く弱々しい声だったけれど確かに聞こえた。

 顔を上げた美鈴の瞳に映ったのは細く開かれた瞳アイスブルーの瞳――。

「よかった……無事、だったのですね……ミレイ殿」

「あ……!」

 震える指先を美鈴は両手で捉えた。フェリクスの手……。意識を取り戻した彼が、美鈴を見つめている。

「あの夜、……あなたに伝えたいことがあったのです。ミレイ殿あなたを」

 美鈴の手の中のフェリクスの指先に力が宿った。虚ろだった瞳にも光が戻っている。

「愛している……どうか、私と……結婚してください」

 フェリクスの言葉に美鈴の瞳には涙が溢れた。先ほど違う、喜びの熱い涙……。

「はい、フェリクス様、わたしも――愛しています、心から……」