雷鳴のような拍手が会場全体に鳴り響き、第一幕が閉幕した。

 三幕からなる舞台の各幕間には休憩時間が設けられており、その間観客たちは顔見知りのボックス席を訪ねたり、ホールや休憩室で談笑して過ごす。

「わたしたちも、休憩室へ参りましょうか?」

 子爵夫人 ロズリーヌの提案で、子爵夫妻と美鈴がボックス席を出ようとしたその時。

 コンコンコン……

 個室のドアがノックされ、子爵夫人が扉を開けるとそこには薄いグレーに金ボタンのお仕着せの召使いが立っていた。

「……私は、アルノー伯爵家のものです。ルクリュ子爵家のミレイ様、フェリクス様のお席までご案内いたします」

 色の薄い金髪に灰色がかった薄い水色の瞳の青年は、淡々とそう告げると子爵一家に向けて深々と礼をした。

「フェリクス様が……」

 予想していたこととはいえ、美鈴の胸は高鳴った。今夜こんなにも早く彼と顔を合わせることになるなんて。

「では、私たちもごあいさつに……」

「いえ、それには及びません」

 そう言って立ち上がりかけた子爵夫妻を、召使いの青年はやんわりと制した。

「フェリクス様はミレイ様と二人きりでお話をされたいとのことで……。子爵ご夫妻からのご挨拶は、また後程」

 子爵夫妻が顔を見合わせて再び席に着いたのを見計らい、青年は美鈴に向き直って軽くお辞儀をした。

「伯爵家のお席にご案内します。ご令嬢」

「お義父様、お義母さま、行ってまいります」

 美鈴は、子爵夫妻にそう告げると青年に続いて部屋を出た。

 幕間であるからか、個室席が続く回廊周辺にも観客の姿はちらほらと見受けられる。

 廊下に敷き詰められた深紅のカーペットの上に壁のクリスタルのランプが柔らかい光を投げかけている。

 青年の後について歩きながら、美鈴は少しずつ緊張が高まっていくのを感じていた。

 ――フェリクスに会ったら。まず、招待のお礼を言って……それから。

 考えれば考えるほど、どうしたらいいのか……フェリクスの前でどう振舞えばいいのか分からなくなる。

 ヴァカンスの間、毎日のように会って親しく話をしていたのが、遠い昔の出来事のように感じる。

 パリスイに――都会の貴族社会に戻ってしまえば、相手は伯爵家の御曹司。おいそれと会うことができない存在なのだと思い知った。

 ――でも、今夜、彼に会える……。

 亜麻色の髪、少し冷たいアイスブルーの瞳に影を落とす長い睫毛。

 美しい唇に浮かべた微笑みを思い出して、美鈴の頬はほんのりと紅く染まった。

 そこに理屈などなかった、ただ彼に会うことが……会えることに胸がときめいた。

 何をするにもまず頭で考え、感情に蓋をする癖があった美鈴にとってそれは新鮮な驚きだった。

「……こちらのお部屋です」

 丸い窓のついた重厚な扉の前で二人は立ち止まった。この歌劇場の中でも特別な伯爵家以上の貴族にのみ使用を許された個室だ。

 青年が軽くドアをノックして、扉を開けると美鈴を中に導き入れた。

 照明が落とされた部屋の中、椅子に座っている人物は一人……。

「……フェリクス様、今晩はお招きいただき誠にありがとうございます」

 ドレスの裾をつまんで、優雅に挨拶をした美鈴が顔を上げると――椅子に座った人物はゆっくりとこちらを振り返った。

 昏い瞳に照明の光が鈍く光り、薄い唇には酷薄そうな笑みを浮かべた青年は――ブールルージュの森で出会ったあの黒髪の男だった。